俳句的生活(300)-更科紀行(3)漆の盃ー

芭蕉は岐阜を八月十一日に発ち、四泊五日の木曽路の旅をへて、八月十五日に更科に到着しています。芭蕉が東海道を旅する時は、門弟の宅に泊まることが多いのですが、木曽路にはそのような門弟がいなく、門人一人と下僕を含めた芭蕉の一行は、旅籠に宿を取っています。旅籠は基本的に相部屋であり、芭蕉は夜には矢立を出して、その日に浮かんだ俳句を記していこうとするのですが、色々と話しかけられて気持ちが集中できないとこぼしています。

そんな中、宿の人たちに誘われて芭蕉は外に出て月見したことが、更科紀行に書かれています。以下はその個所を現代語訳したものです。

「さあ月見のご馳走をいたしましょう」と宿の人たちが言って、盃を持って外に出てきた。普通の酒杯に比べて一回り大きく、細かい蒔絵が施されている。都の人はこのような器は風情がないと思い、手にも触れなかったが、私には思いもよらぬ楽しみで、玉の碗に玉の器の心地がしてくるのも場の雰囲気によるものだった。

あの中に蒔絵書たし宿の月

句意は、山中の宿で見る月は格別に趣深い、あの月に蒔絵を書きたいものだ、というものです。

漆器は信州の特産品ですが、このような山の中の旅籠でも漆の器が芭蕉の時代に日用品として使われていたことは、驚きに値します。

漆は長野五輪でのメダルにも使用されています。

長野五輪でのメダル

この更科紀行の一節を見ますと、芭蕉は十五夜の名月の前にも月見をしていますから、それが句会ではなかったにしても、十五夜、十六夜と合わせて、三夜の月、あるいは四夜の月を持ったことになります。そのことを、こちらのブログに追加しないといけないようです。