鬼を狩る子孫 第二部・過去編 第四章 伊賀(12)
立て札
朝は、いつもどおりに始まった。
山の上に日が差し、
谷に光が降りてくる。
人々は戸を開け、
水を汲み、
火を起こす。
だが、その朝は、すぐに違いが分かった。
「何や、これ……」
最初に声を上げたのは、子どもだった。
道の脇に、木の板が立てられている。
見慣れぬものだった。
やがて大人が集まる。
板の前に人が寄る。
そこに書かれていた文字を見て、
誰もが息を止めた。
「葛山虎矩、近江六角と通じ、伊賀の道・集落・合議の場所を渡し、
その見返りに伊賀の支配を受け取らんとす」
ざわめきが一気に広がる。

「何やて……」
「ほんまか……」
「そんなこと……」
だが、文字は続いていた。
「これは六角へ送る密書の写しなり」
「伊賀を売り渡し、己一人の権を得んとするもの」
その下に、さらに一文。
「証あり」
板は一つではなかった。
別の道にも。
井戸のそばにも。
合議の集まる広場にも。
同じ文が立てられている。
逃げ場はなかった。
「見たで!」
声が上がる。
若い男が、人の輪に割って入る。
手に紙を持っている。
「これや」
広げる。
そこには、はっきりと書かれていた。
谷と谷をつなぐ道。
抜け道。
集落の位置。
そして、合議の開かれる場所。
さらに、その下にある文。
「この道より兵を入れよ」
「内より手を引く者あり」
「事成らば、伊賀一国を預かるべし」
誰もが言葉を失う。
「ほんまに……売っとる」
誰かが、低く言った。
その言葉が引き金になった。
「許されん」
「伊賀を売るんか」
「自分のためにか」
怒りが、一気に噴き上がる。
年配の男が前に出た。
声に力がある。
「合議や」
「これは合議にかける」
周囲がうなずく。
そのとき、別の声が上がった。
「虎矩の者が来るぞ!」
人々が振り向く。
虎矩の配下の男たちが、こちらへ向かってくる。
いつものように、乱暴な足取りで。
だが、今日は違った。
人が、道を開けない。
立ちはだかる。
男たちが止まる。
戸惑いが見える。
「どけ」
一人が言う。
だが、声に力がない。
誰も動かない。
その代わり、声が上がる。
「これは何や」
「説明せい」
別の者が叫ぶ。
「伊賀を売ったんか!」
さらに声が重なる。
「合議や!」
「合議に出ろ!」
「逃げるな!」
虎矩の名で押さえつけられていたものが、
一気にほどけた。
配下の男たちは、後ずさる。
押し返される。
もう、昨日までのようにはいかない。
朔太郎たちは、その様子を少し離れたところから見ていた。
権太が言う。
「これは効いたな」
玄之助がうなずく。
「ただの噂やない」
「証や」
三之助は、静かに言った。
「これで逃げ場はない」
人の流れは、もう止まらない。
朔太郎が言う。
「次や」
三之助がうなずく。
「終わらせる」
風が吹いた。
霧は、もうなかった。
すべてが、はっきりと見える形で動き始めていた。


