鬼を狩る子孫 第二部・過去編 第四章 伊賀(11)
霧の中へ
夜は、静かに下りてきた。
伊賀の谷は、昼のざわめきが嘘のように静まり返っている。
だが、その静けさの下では、
別の流れが動いていた。
朔太郎たちは、屋敷の外れに身を潜めていた。
葛山虎矩の屋敷。
昼間とは違い、見張りの数が増えている。
灯がともり、
出入りする者の影が障子に映る。
権太が小声で言う。
「中、えらい固いな」
玄之助が答える。
「何か隠しとる」
三之助は、少し離れた位置に立っていた。
屋敷全体を見ている。
風の流れ、灯の揺れ、
人の動き。
すべてを一度に見ていた。
「ある」
静かに言う。
朔太郎が振り向く。
「何がや」
三之助は答える。
「書付や」
権太が眉をひそめる。
「どこや」
三之助は、屋敷の奥を指した。
「一番奥の間や」
「昼、あそこにおった」
玄之助が聞く。
「見たんか」
三之助は首を振る。
「見せとらん」
「だが、触っとった」
朔太郎が言う。
「中身は」
三之助は短く答えた。
「外へ渡すもんや」
沈黙。
意味は、三人とも分かっていた。
権太が歯を鳴らす。
「ほんまにやりよるな」
玄之助が言う。
「取るか」
朔太郎が三之助を見る。
「できるんか」
三之助は、わずかに目を細めた。
「できる」
それだけだった。
権太が聞く。
「どうや」
三之助は、一歩前に出た。
そして、静かに言った。
「霧を出す」
三人が顔を見合わせる。
「霧やと?」
三之助は、ゆっくりとうなずいた。
「ここは、山や」
「夜は冷える」
「風は谷を通る」
地面に手を触れる。
「少し動かせば、ええ」
その言葉と同時に、
風がわずかに変わった。
最初は、ほんの薄い靄だった。
地面の近くに、白いものが漂う。
やがて、それが広がる。
低く、ゆっくりと。
屋敷の方へ、流れていく。
権太が小さく言う。
「……ほんまに出よった」
霧は、音もなく広がった。
庭を覆い、
塀にかかり、
やがて門のあたりまで届く。
見張りの声がした。
「何や、この霧は」
足音が動く。
だが、視界は悪い。
互いの姿が、はっきり見えない。
三之助が言う。
「今や」
四人は動いた。
低く、速く。
霧の中では、気配が消える。
足音も、風に紛れる。
門を越える。
庭を抜ける。
灯りがぼやけて見える。
影が、揺れる。
奥の間。
三之助が手で合図をした。
止まる。
中に、人の気配はない。
障子に手をかける。
音を立てずに、わずかに開ける。

暗い。
だが、位置は分かる。
部屋の中央。
小さな箱が置かれている。
三之助が入る。
朔太郎が続く。
箱の前にしゃがむ。
一瞬だけ、手が止まる。
ふたに手をかける。
静かに開ける。
中に、巻かれた紙があった。
三之助は、それを取り出す。
朔太郎が言う。
「それか」
三之助はうなずく。
「証や」
そのとき、外で声が上がった。
「誰かおるぞ!」
見張りが気づいた。
玄之助が言う。
「早いな」
三之助は、箱を元に戻した。
ふたを閉じる。
何も変わっていないように見せる。
「行くで」
四人は、すぐに動いた。
霧の中へ戻る。
声が近づく。
足音が増える。
だが、もう遅い。
霧は、さらに濃くなっていた。
四人の姿は、どこにもない。
ただ、白い流れだけが、
静かに屋敷を包んでいた。

