鬼を狩る子孫 第二部・過去編 第一章 丹波の若者(11)

第11回 山を越える日

 秋月城は、夕刻になると静まる。

 山腹に築かれた小城は、遠目には威を保つが、近づけば木柵は歪み、石垣は低い。

 城主は、細川管領の一門であった。

 温厚な人柄で、都の話を好み、和歌を詠み、家臣の失策にも声を荒げぬ。

 民を思う心もある。

 だが、その穏やかさは乱世の力にはなりにくい。


 本丸の一室で、城主は川の商いについて家老に尋ねていた。

 「近ごろ、保津川が騒がしいと聞くが」

 城代家老・柊木弥左衛門は深く頭を下げた。

 「些事にございます。商いが活発なだけにて」

 声は静かで、よどみがない。

 城主は安堵したように頷く。

 「川が賑わうのは良きことだ」

 弥左衛門はさらに一礼する。

 その目の奥に、わずかな光が宿った。

創作小説の挿絵

 城下の蔵では、藤堂屋宗兵衛が帳面を広げていた。

 川の商いで財を成した男である。

 白壁の新しい蔵、厚い戸板、忙しく出入りする番頭たち。

 保津川の舟は、都へ向かう唯一の大路だ。

 木も米も炭も、流れに乗る。

 その順を整え、荷を差配する者の手に、銭は集まる。

 「来月より、船頭衆の順を改めます」

 番頭が言う。

 宗兵衛は筆を置き、静かにうなずいた。

 「流れは、整えねばならぬ」

 川の流れ。
 人の流れ。
 銭の流れ。

 それらは、気づかぬうちに形を変える。


 その頃、朔太郎は山道を歩いていた。

 荷は軽い。

 衣は質素。

 峠を越えれば、南へ出る。

 京へ続く道である。

 応仁の乱の後の荒廃した都

 霧村の血を引く者が、どこかにいるかもしれぬ。

 それだけを頼りに、足を運ぶ。


 ふと、立ち止まる。

 振り返れば、丹波の山が幾重にも重なっている。

 城も、川も、今は見えぬ。

 だが、残してきたものがある。

 霧の夢。

 白の中に立っていた男。

 霧の小次郎と名乗った祖先。

 「鍛えよ」
 「血を探せ」
 「鬼を狩れ」

 その声は、まだ胸の奥に残っている。


 薪を背負った老爺の姿も思い浮かぶ。

 何気ない顔で、霧村の名を口にした。

 鬼退治の家だと、半ば笑いながら。

 あの目は、ただの百姓ではなかった。

 だが、問いたださなかった。

 いずれまた会う。

 そんな気がした。


 川の蔵先で琴を弾いていた娘。

 桔梗の花の帯。

 澄んだ音色。

 あの川にも、目に見えぬ流れがあった。

 強き者が整え、弱き者が従う流れ。

 それが正しいのかどうか、朔太郎にはまだ分からぬ。


 山風が吹く。

 つい先日まで、自分は何者でもなかった。

 日雇いをし、用心棒まがいをし、どこにも属さず。

 だが今は、目的がある。

 それが正しいかどうかは分からぬ。

 だが、足は前へ出る。


 秋月城では、城主が和歌を詠み、家老は帳面を閉じ、商人は蔵の鍵をかける。

 川は何事もなかったように流れる。

 流れは静かだ。

 だが、底は揺れている。


 朔太郎は峠を越えた。

 京へ。

 同志を求める旅が、ここから始まる。

 丹波の空は遠くなった。

 だが、霧はまだ胸の奥にある。

 それは消えぬ。

 いずれ戻るその日のために。

第一章 完