鬼を狩る子孫 第二部・過去編 第四章 伊賀(14)

合議と旅立ち

朝は、静かに始まった。

だが、その静けさの中に、
これまでとは違う張りつめた空気があった。

谷の中央の広場に、人が集まっている。

男も、女も、若者も、年寄りも。

皆、同じ方を見ていた。

その中心に、葛山虎矩が座らされている。

縄はかけられていない。

だが、動くことはできない。

周囲の目が、それを許さなかった。

やがて、年配の者たちが前に出る。

伊賀の各谷を代表する者たちだった。

彼らは輪を作り、座る。

これが、この地の決め方だった。

「合議にかける」

静かな声が響く。

ここで言う「合議」とは、

一人の主が命じるのではなく、
複数の有力者が集まり、話し合いによって物事を決めるやり方である。

伊賀では古くから、
それぞれの谷の者たちが対等に近い立場で意見を出し合い、
全体のことを決めてきた。

名で呼ぶならば「惣(そう)」、あるいは「寄合(よりあい)」に近い。

力で押さえるのではなく、
合意によって治める。

それが、この土地の掟だった。

その場に、紙が差し出される。

三之助が持ち帰った、あの密書である。

「読め」

声がかかる。

若い者が、震える手で広げる。

「近江六角と通じ、道を開き、内より手を引く……」

読み上げられる言葉が、広場に落ちていく。

誰も声を出さない。

だが、その沈黙は重い。

次に、別の者が進み出た。

年配の男だった。

「この者の祖父の件」

そう言って、三之助の方を見る。

「当時、謀反の疑いとされたが」

言葉を切る。

「証はなかった」

ざわめきが起こる。

「今、分かった」

男は続ける。

「当時の訴えは、葛山の側から出たものや」

さらに別の証言が出る。

「証をねつ造した者が、おる」

その名が挙がる。

すでに亡き者もいる。

だが、流れははっきりしていた。

「でっち上げや」

誰かが言った。

その一言で、すべてが決まった。

三之助は、黙って聞いていた。

顔は変わらない。

だが、わずかに目が伏せられる。

祖父の名が、ここで初めて正される。

「霧隠の家に、咎はない」

その言葉が、はっきりと告げられた。

静かに、しかし確かに。

やがて、合議の者たちが顔を見合わせる。

短い相談。

長くはかからない。

ひとりが口を開く。

「葛山虎矩」

名を呼ぶ。

虎矩は、顔を上げた。

「伊賀を売り、己のためにこの地を乱した」

言葉は、淡々としている。

だが重い。

「所領を没収する」

ざわめきが走る。

「この地より去れ」

それだけだった。

死罪ではない。

だが、それ以上に重い。

この地から外されることは、
すべてを失うことを意味した。

虎矩は、しばらく動かなかった。

やがて、ゆっくりと立ち上がる。

誰も手を出さない。

だが、誰も目を逸らさない。

虎矩は、何も言わなかった。

そのまま、人の間を抜ける。

振り返ることもなく、
谷の外へと歩いていった。

長く、この地を押さえていた者の終わりだった。

静けさが戻る。

その中で、ひとりが言った。

「霧隠三之助」

名を呼ばれる。

三之助が前に出る。

「お前の家は正された」

うなずく。

「ならば、この先を任せたい」

ざわめきが起きる。

「まとめ役として、立て」

いわば、合議の中心に立つ者。

それを求める声だった。

三之助は、しばらく黙っていた。

やがて、首を振る。

「それは、受けん」

静かに言った。

「なぜや」

問われる。

三之助は、朔太郎の方を見た。

「やることがある」

それだけだった。

朔太郎が、わずかに笑う。

権太が言う。

「また面倒なことやろな」

玄之助が肩をすくめる。

「そういう顔や」

小さな笑いが起きる。

張りつめていた空気が、少しだけほどける。

三之助は、もう一度だけ広場を見た。

伊賀は、元の形に戻る。

力ではなく、話し合いで決める地へ。

だが、自分はそこには残らない。

歩き出す場所は、別にある。

朔太郎が言う。

「行くか」

三之助がうなずく。

四人は、広場を離れた。

背中に、人々の視線を感じながら。

山の道へと入る。

風が吹く。

霧は、もうなかった。

だが、その先には、
まだ見えぬものが広がっている。

四人は、振り返らなかった。

創作小説の挿絵

第四章 完

次の第五章では駿河の駿府(現静岡市)に移動します。ここは足利の一支流であった今川氏が、守護大名を経て戦国大名に成長していったところです。また徳川家康が、少年時代を今川義元の薫陶を受けて過ごした地です。朔太郎たちがこの地を訪れた応仁の乱後には、京都より多くの公家が駿府を訪れ、朔太郎たちはそこで京や丹波の情報を得ていくことになります。乞うご期待!