鬼を狩る子孫 第二部・過去編 第二章 洛中の渦(1)

第1回 老ノ坂・洛中洛外

 老ノ坂は、丹波と京とを分ける峠である。

 道は狭く、岩が露出し、踏み外せば谷へ落ちる。だが、この坂を越えねば都へは入れぬ。

 朔太郎は、足を止めた。

 背後に丹波の山が重なり、前には低く広がる盆地。その奥に、屋根が幾重にも連なる京の町が見える。塔がところどころに立ち、白い煙がゆらりと上がっている。

 城は見えぬ。

 石垣も、高楼もない。

 だが、町の密度が違う。

 あれほどの人の集まりは、丹波にはない。

 峠を行き交う者は多かった。

 炭を背負う百姓。
 荷を引く馬子。
 刀を提げた浪人。
 托鉢の僧。

 誰もが、急いている。

 応仁の乱から三十年あまり。
 都は焼け落ち、そしてまた立ち上がった。

 崩れたままの寺もあれば、再建された伽藍もある。

 朔太郎は、静かに坂を下り始めた。


 洛外は荒れていた。

 焼け跡の柱が黒く残り、崩れかけた土塀の隙間から草が伸びている。

 石仏は傾き、半ば土に埋もれている。

 ここは洛外――都の外縁である。

 御所を中心とする洛中の外側、戦で焼かれた町や寺がなお残る地帯だ。

 だが、その脇で子どもが走り、女が井戸端で笑う。

 荒廃と生活が隣り合っている。

 丹波とは違う。

 山に囲まれた閉じた土地ではない。

 ここは、流れ込む。


 洛中へ入る。

 御所と大路を中心とした都の心臓部。

 通りは狭く、軒は低い。

 だが、人の数は丹波の比ではない。

 牛車が通る。
 商人が走る。
 武士が横切る。
 僧が唱える。

 すべてが混じる。

 力と銭と権威が、互いに押し合う。

 都は、一枚岩ではない。

創作小説の挿絵

 道端で若い武芸者二人が口論していた。

 「そこはわしらの道場の筋や」

 「洛中に筋も縄張りもあるか」

 腰の刀に手がかかる。

 朔太郎は足を緩めたが、刃は抜かれぬ。

 周囲の目がある。

 洛中では、軽々しく血は流れぬ。

 そこへ、一人の浪人が割って入った。

 背が高く、無精髭を生やし、粗末な衣をまとっている。

 何も言わぬ。

 ただ、視線を向けただけで、若者たちは黙った。

 その目は、澄んでいる。

 朔太郎は、その静けさにわずかに息を詰めた。



 祇園社の方から太鼓が響いた。

 祭の準備だという。

 応仁の乱で途絶えた祭が、再び巡る。

 鬼面を被った若者が、型を合わせている。

 誇張された角。
 裂けた口。

 笑っているのか、怒っているのか分からぬ面。

 鬼は、祭の中にいる。

 だが、それはまだ仮の姿だ。


 朔太郎は宿を探すことにした。

 まずは町を知る。

 剣を振るう前に、目を養う。

 夢の中の小次郎の声がよみがえる。

 「鍛えよ」

 鍛えるとは、何か。

 腕だけではあるまい。


 通りを折れたとき、朔太郎は足を止めた。

 路地の陰に、先ほど峠で見た無精髭の浪人が立っている。

 人の流れの中で、その姿だけが動かない。

 目が合う。

 男は、わずかに口の端を上げた。

 次の瞬間、姿は消えていた。

 朔太郎は、しばらくその路地を見つめていた。

 京は広い。

 だが、広いだけではない。