第十話 大山詣り(目次)
第1回 旧街道の落書き
社会科の自由課題で「大山詣りの歴史」を調べることになった悠夜たちは、
実地調査として大山街道の古い道筋が残る茅ヶ崎を訪れる。
道端の石塔や地名を確かめながら歩くうち、
三人は古い道標の裏に不気味な “落書き” を発見する。
第2回 古道に残る気配
旧大山街道をたどる社会科課題の調査を続ける悠夜たち。
江戸時代の大山詣りの賑わいを知り、当時の人々の “娯楽と信仰” の混ざった独特の文化に触れる。
だが道中、落書きのあった電柱の周辺で、奇妙な “蛇の絵が増えている” ことに気づく。
SOSの意味はまだ分からないが、胸のざわめきが大きくなる。
第3回 街道の先
旧大山街道のレポートをまとめる悠夜たち。
しかし「SOS」と蛇の落書きが、三人の心に引っかかり続けていた。
そこへ嵐山が「街道だけで終わるのはもったいない」と声をかけ、
“大山そのもの”へ目を向ける提案をする。
第4回 街道から鉄道へ
自主見学当日。
悠夜たちは鎌倉から藤沢へ向かい、小田急線に乗り換える。
街道を歩いていたはずの彼らが、
今度は現代の“流れの速い道”である鉄道に身を置くことになる。
車窓に流れる風景と人の多さが、
「大山詣り」がかつての大衆娯楽だったことを静かに実感させる。
第5回 雑踏の中の入口
相模大野での乗り換え。
人の波、アナウンス、行き交う視線――
その雑踏の中で、嵐山は
「大山詣りは信仰やけど、同時に娯楽でもあった」
と語る。
やがて伊勢原に到着し、
大山詣りの“入口”としての町の空気を感じ始める。
第6回 伊勢原――山へ向かう町
伊勢原駅に降り立った悠夜たちは、街の空気が「山へ入る前の町」に変わっていることを感じ取る。
バスで大山ケーブル停留所へ向かい、麓に点在する御師の宿の存在を知る。
信仰と娯楽が混じり合った大山詣りの歴史が、嵐山の語りで立ち上がる。
一行は、まだ山に入らぬ場所で、すでにその“入口”に立っている感触を得る。
第7回 こま参道――境界を越える前
御師の宿を抜け、悠夜たちはこま参道へと足を踏み入れる。
参道沿いにも宿が点在し、信仰と生活が連なってきた歴史が浮かび上がる。
三百段あまりの石段を前に、一行は山へ入る覚悟を新たにする。
ケーブルカー駅に立ったとき、日常と非日常の境界が、静かに越えられる。
第8回 こま参道を越えて
御師の宿を後にした悠夜たちは、こま参道を抜けてケーブルカーに乗り、大山の内部へと入る。
嵐山は、街道に残る痕跡が山側にも残っているはずだという仮説のもと、雨降り神社下社を調査の目的地と定めていた。
境内で悠夜たちは、これまでに見てきたものと同型の「SOS」と蛇の落書きを発見する。
街道と山が一本の線で結ばれている可能性が、確かな手応えとして浮かび上がってくる。
第9回 線が重なる――街道と山の同一点
雨降り神社下社で見つかった落書きを前に、悠夜たちは街道での調査結果を思い返す。
嵐山は、落書きが偶然ではなく「人の流れが必ず通過する点」に残されている可能性を示す。
街と山、日常と信仰を結ぶ一本の線が浮かび上がり、調査は新たな段階へと進む。
誰が、何のために、この印を残したのか――問いはより具体的な形を帯び始める。
第10回 分岐点
伊勢原での調査を終えた悠夜たちは、小田急で藤沢へ戻り、旧東海道の「大山街道入口」から街道を再調査する。
過去の街道調査で落書きが見つかっていた地点を洗い直す中で、印が「必ず通るが立ち止まらない場所」に集中していることが改めて浮かび上がる。
街道と山で共通する条件が見え始め、悠夜は街道と水路が交わる地点に強い手応えを覚える。
調査の焦点は、ついに「場所」そのものから、その場所を選ぶ「人」へと移り始める。
第11回 大曲橋
大山街道と小出川が交わる大曲橋で、悠夜たちは街道と水路の関係を調べる。
橋の構造や川沿いの地形は、落書きが残される条件と不気味なほど一致していた。
嵐山は、この場所が古くから人と物が集まる結節点だったことを語る。
子供が「助けを託した場所」が、現実の輪郭を持ち始める。
第12回 橋の下――残された小さな痕
大曲橋の下で調査を始めた悠夜たちは、街道から外れた水辺に人の気配を感じ取る。
そこで見つかったのは、子供が確かにそこに「いた」ことを示す小さな痕跡だった。
それは偶然残されたものではなく、身を潜めて過ごした時間の証でもあった。
SOSは空想ではなく、現実の存在へと一歩近づく。
第13回 水の影――見つかった声
小出川の上流へと痕跡を追った悠夜たちは、人の流れから外れた水辺に辿り着く。
藪の奥で聞こえた小さな声は、SOSを発していた子供の存在を確かなものにした。
印は偶然ではなく、助けを託すために選ばれた場所に残されていた。
こうして現実の捜索は、静かな形で決着を迎える。
第14回(最終回) スサノオになった日
救出を終えた後、小出川のほとりで嵐山は伊勢原の地名と伊勢信仰、大山詣りの背景を語る。
蛇の落書きはヤマタノオロチを連想したものであり、助けを求めた子供は出雲神話の姫と同じ位置に立っていたことが明らかになる。
鬼は後世に生まれた概念であり、神話の時代では自然そのものが畏れの対象だったと嵐山は説明する。
悠夜たちは意図せず神話をなぞり、その日だけはスサノオの役割を果たしたのだと静かに締めくくられる。


