鬼を狩る子孫 第九話 鎌倉山の鬼伝説(3)
小さな芽生え
鎌倉山への坂道を登りながら、
悠夜はさっきの江ノ電の光景をふと思い出していた。
若い男性が座り、老婦人がつり革につかまっていた場面。
誰かが席を譲れば良いのに、という思いが
ほんの少し胸に引っかかっていた。
「別に、ぼくらが悪いわけじゃないんだけどさ……」
蓮がぽつりと言った。
「うん。言いにくい状況、ってあるよね。」
真衣も歩幅を合わせながらうなずいた。
悠夜もその通りだと思った。
注意するのは難しい。
それに、きっと誰か別の人が気づいて声をかけるかもしれない。
後悔というほどではない。
ただ、心のどこかに小さな問いが芽を出しただけだった。
その時、嵐山が穏やかな声で言った。
「昔な、京都の清水んとこの階段でな……
おばあさんが重い荷物を落としはったんや。」
三人は顔を上げた。
「周りの人ら、最初はよう動かへんかった。
みんな自分のことで頭いっぱいやったんやろな。
せやけど、一人の若い子が “ちょっとだけ” 手を貸したんや。」
嵐山は歩きながら、前を見つめた。

「そしたらな、おもろいもんで、
次の人も、またその次の人も手ぇ出しはってな。
結局、おばあさんは笑顔になって帰らはった。」
真衣が微笑む。
「なんか、いい話……」
「せや。」嵐山は軽くうなずいた。
「鬼いうのはな、人の心が冷たうなったとき、
ひょいと顔を出すんや。
せやけど “誰か一人の親切” で、
その鬼はすぐ小さうなる。」
悠夜はその言葉を胸の中で転がした。
それは説教ではなく、
「こういうふうにも見えるんやで」という
そっと差し出された灯りのようだった。
蓮がぽつりと言う。
「……じゃあ、ぼくらも、
何かできるときにやればいいんだね。」
「そうや。」
嵐山の声は柔らかく、風にとけるようだった。
「できるときに、できる人が、できるだけ。
そんでええんや。」
坂の上には、鎌倉山の緑が深く伸びていた。
その静けさの中で、
三人の胸に小さな光が灯った気がした。


