鬼を狩る子孫 第七話 北条氏の策謀(8)
揺らぐ理念
放課後の校舎は、定期試験前の静けさに沈んでいた。
だが、その静けさの下で、
ひとつの “歴史の再現” が静かに始まっていた。
悠夜と蓮は、職員棟へ向かう廊下を歩いていた。
司書が「創設期の書類を整理するよう言われた」と言ったことが、
どうしても気にかかったからだ。
事務室の前までくると、
ドアはわずかに開いていて、声が漏れていた。
*
「──顧問の先生。」
副理事長の声は穏やかで丁寧、
しかしその下に冷たい刃が潜んでいた。
「棚の事故の件につきましては、
創設期の判断に問題があった可能性 を
理事会として検討せざるを得ません。」
蓮が息を呑んだ。
顧問は静かに言葉を返した。
その声音には、
長年の教師が持つ厳しさと、古武士のような覚悟があった。
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「可能性……か。
副理事長、些細な事故を誇大に扱うのは、
理を曲げる者の常だ。」
副理事長の目がわずかに細くなる。
しかし声は丁寧すぎるほど丁寧だった。
「些細……とは言えませんよ、先生。
生徒の命にかかわる問題です。
創設期の設備方針が、今の環境に合致しなかったとすれば、
責任の所在を明らかにするのは当然でしょう。」
顧問は、まっすぐ副理事長を見た。
「私は、いつでも責任を負う覚悟はある。
だが──
偽りの責任 までは負わん。」
その一言に、
教頭が息を呑み、司書は目を伏せた。
蓮の胸が震えた。
(……強い。
被害者にも加害者にもならない場所に立ちながら、
正しいことだけを言っている……
まるで……)
悠夜は思った。
(和田義盛──
攻められても、誠実と覚悟だけは折れなかった男。)
副理事長は微笑み、さらに狡猾に言葉を重ねた。
「顧問の先生。
誤解しないでいただきたい。
私は、学園の安定を守る “義務” を果たしているだけです。
創設期の “過剰な理念” が、
現代の体制を揺るがす危険性を……
ご理解いただきたいのです。」
「危険性、とな。」
顧問はゆっくりと立ち上がった。
「理念を守る者が危険とは……
随分と歪んだ理屈だ。
安定を理由に理を捨てるのは、
体制に寄りかかる者の論だ。」
副理事長の笑みが一瞬だけ崩れた。
司書は震える声で言った。
「先生……あの棚は……もともと備品庫として──」
「司書さん。」
副理事長が柔らかく遮る。
「創設者の “意図” が事故につながった可能性があるのです。
記録は慎重に整理し直す必要があります。」
顧問は、司書をかばうように一歩前に出た。
「誰かを守るための嘘は、
いずれ必ず人を傷つける。」
副理事長は目を細めた。
「顧問の先生。
あなたの “強い信念” こそ、
今の理事会にとっては扱いが難しい。」
「扱えぬなら、扱える者に任せればよい。」
鋼のような静けさが、顧問の言葉に宿っていた。
悠夜は胸が熱くなるのを感じた。
(……これだ。
義盛が失わなかった “理” 。
いま、顧問の先生がそのまま体現している。)
蓮は拳を握った。
(でも……和田のときは負けた。
義時の策が勝った。
今度は……絶対に負けさせない。)
顧問は最後に副理事長へ言った。
「副理事長。
創設者を排除するために “事実をねじ曲げる” のなら……
私は断じて従わん。」
副理事長の目が冷たく光った。
「そのお言葉、確かに承りました。
理事会で正式に検討しましょう。」
顧問は一礼し、静かに事務室を出ていった。
足取りは揺るぎなく、背筋はまっすぐだった。
悠夜と蓮は、廊下の陰でその姿を見送った。
悠夜は静かに言った。
「……蓮。
このままだと、顧問の先生が理事会で責められる。」
蓮は震える声で返した。
「止めよう。
今度こそ……和田のときみたいにさせない。」
悠夜は微笑んだ。
「うん。
“歴史を変える” って、
こういうことなんだと思う。」
二人は夕暮れの廊下を歩き出した。
顧問の背に宿った “古武士の理” を胸に抱いて。

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