鬼を狩る子孫 第七話 北条氏の策謀(3)

沈められた名と影

翌日。
悠夜と蓮は図書室奥の閲覧ブースで、
学校の事故報告書ファイルを広げていた。

紙の色は年数を経て黄ばみ、
ホチキス跡が錆びついているものもある。

「……多いな、これ」

蓮が呟いた。

十年分、二十年分と積み重なる分厚いファイル。
それらを、一つずつ開いていく。

ほとんどが淡々とした記述で、
読んでいても目が滑るばかりだった。

「体育で擦り傷」「廊下で転倒」「実験器具の破損」──
そういった “ごく普通の学校の事故” が並んでいる。

……だが。

「悠夜、これ……」

蓮が指でページを押さえた。

「 “棚が落ちて怪我をした” って事故、
 本来なら絶対に記載されるはずなのに……
 どの年度にも出てこないんだ」

悠夜は昨日見た、
“強い力で押し潰された” 棚板を思い出した。

「……記録が無いんじゃなくて、
 “消された” ……そう考える方が自然かもしれない」

蓮は息を呑んだ。

「だとしたら、誰が?」

「副理事長だけじゃない」

悠夜はファイルを閉じ、小さな声で言った。

「もっと……組織的な意思を感じる」

沈黙が落ちたとき、蓮がふと視線を棚へ向けた。

「あ、これ……」

蓮が抜き出したのは一冊の歴史本だった。
『吾妻鏡に見る鎌倉の政争』

創作小説の挿絵

数ページをめくると、“和田合戦” の章が目にとまった。
そこには、こんな記述があった。

ーー和田義盛の乱ののち、
 北条氏は “反北条” とみなした和田一族の名を、
 公式史料『吾妻鏡』から選択的に削った。

 とくに義盛の三男・和田三郎秀盛に従った郎党──
 合戦で最後まで抵抗した一派の名は、
 他の文書や地名で実在が確認できるにもかかわらず、
 『吾妻鏡』からはほぼ完全に消えている。

 北条氏は、都合の悪い人物を
 **“歴史上は初めから存在しなかった者”** として扱った。
 それが彼らの最も得意とした策謀であった。

蓮は思わず顔を上げた。

「……こんなこと、本当にできるの?」

「できたんだよ」

悠夜は静かに本を閉じた。

「公式の記録は、一度書かれたら “真実” みたいな顔をする。
 だからこそ、そこから名前を消すことが、
 最大の権力だったんだ。」

蓮は事故報告書と歴史本を見比べた。

「じゃあ……この学校でも?」

「 “起きた事故を、無かったことにする” 。
 北条の時代と同じだ。」

悠夜の声は、わずかに硬くなっていた。

蓮はまた別の年度を開き、眉をひそめた。

「悠夜……ここ。
 “棚の点検に関する備品整理” って欄がある。
 でも、その翌年にはもう無い。
 まるで、その年だけ何かあったみたいに。」

悠夜は近づいて覗き込んだ。

「……点検の記録があるのに、
 肝心の事故が書かれていない。
 本来なら逆だ。
 事故が起きたから点検を入れたはずなのに。」

二人の指が、黄ばんだ紙の上で止まった。

蓮がぽつりとつぶやく。

「和田三郎秀盛の郎党……
 名前を丸ごと消された人たちか。
 なんか……歴史の話だったはずなのに、
 急に現実に迫ってくる。」

悠夜は視線を落とさずに答えた。

「消されるのは “名前” だけじゃない。
 存在そのものだ。
 棚の事故も……きっと誰かにとって
  “消さなきゃならない理由” があったんだ。」

その瞬間、閲覧ブースの奥で微かな影が揺れた。

蓮が、ぞくりとした声でささやく。

「……悠夜、誰か……見てる。」

悠夜は自然を装いながら本を閉じ、立ち上がった。

「蓮、いったん戻ろう。
 今は深入りすると危ない。」

蓮も頷き、ファイルを静かに棚へ戻す。

二人が閲覧ブースを離れるとき、
奥の影がそっと動いた気配がした。

だが振り返っても、そこにはもう誰もいなかった。