添削(73)-あすなろ会(29)令和7年11月
青草さん
原句 俎板の刃入れとまどう南瓜かな
南瓜(かぼちゃ)は硬く、包丁を入れづらいという “日常の実感” がよく出ている佳句です。問題は「刃入れとまどう」としたときに、とまどう主体が「作者」なのか「南瓜」なのかが、読み手によって少し揺れる点があります。その原因は「とまどう」という動詞が南瓜にかかって、「俎板の刃入れ、とまどう南瓜かな」とも読めるからです。この曖昧さを解消するために、動詞の前に「の」を入れて、主体を明確にすることが出来ます。
参考例 俎板に刃先の迷ふ南瓜かな
原句 嬰児の宙をつかむ手菊日和
赤ん坊が、まだ焦点の定まらない世界で空中を “つかもうとする” あの独特の動きが美しく写生され、季語「菊日和」の柔らかい日差しと響きあっています。このままで十分に佳句ですが、「宙をつかむ」ー>「つかむ宙」と倒置することで、“赤ん坊が見ている世界” を一段と広げることが出来ます。これにより焦点が「手」から「宙」に変わるのですが、この方が俳味が増すのではないでしょうか。
参考例 嬰児のつかむ宙あり菊日和
原句 秋涼しそよぐ欅の遠音かな
本句、「そよぐ欅の遠音」という描写は、秋の静けさ・高さ・透明感をよく捉えています。ただ、句は整っているのですが、“よく見かける光景” の域を出ていなく、インパクトの弱い句となっています。こうした場合、何を句の主役とするのかを考えて、そこを強調するようにするとインパクトが生まれます。本句では、音の描写を主役にするのが良いでしょう。
参考例 秋涼し欅そよぐや遠の音
怜さん
原句 まだ固き蕾香りて菊の月
蕾がまだ固いのに、すでに “香りを放っている” という視点が秀逸です。写生としてもよく、「見えないもの(香り)」を詠む俳句らしさがあります。ただ、「蕾香りて」は意味は通じますが、少しだけ説明的な響きがあります。香りの方向性・広がりを具体的にした方が、読者の心に鮮明に入るでしょう。最大の問題は接続助詞の「て」にありました。
参考例1 蕾まだ固く香りぬ菊の月
参考例2 蕾まだ香りの固く菊の月
原句 葉の陰の南瓜は遺棄か忘れたか
とても面白い句です。“南瓜を作ったが収穫し忘れたのか/意図的に捨てられたのか” という、境界の曖昧な感覚をうまく捉えています。ただ、「遺棄か忘れたか」は面白いのですが、言葉がそのまま説明になっているため、俳句として “重さ” が残ります。
参考例 葉の陰に残る南瓜や遺棄ならむ
原句 地下鉄の出口間違へ大西日
コミカルでテンポがよく、光景もすぐ浮かぶ良い句です。ただ、原因ー>結果の構造になっていますので、こうしたときは語順を変えると、因果関係は解消します。
参考例 大西日地下鉄出口間違へし
遥香さん
原句 新涼やはらりとほどく束ね髪
とても品格のある一句です。「新涼(しんりょう)」=立秋後の爽やかな涼しさ。その涼しさに誘われて、束ねていた髪を “はらりとほどく” という動作が、季語と響き合って実に見事です。また、季語が “行為の理由” になっている点が秀逸です。直しは要りません。
原句 南瓜載せ夕日も載せて猫車
猫車(ねこぐるま)に南瓜を載せて運ぶ、という写生の場面に、夕日まで “載せて” しまう比喩の飛躍があり、そこに詩情が生まれています。夕日=光=重さのないものを “載せる” という表現が俳句特有の軽みになっています。ただ、「夕日も載せて」がやや散文的に感じられますので、もう少し “余韻” あるものに替えると、一段と洗練された句になります。夕日も載せてー>夕日もうすく でどうでしょう。
参考例 南瓜載せ夕日もうすく猫車
原句 この庭に記憶のかけら金木犀
金木犀の香りは “記憶を呼び覚ます香り” として定番ですが、それを “かけら” としたことで、大げさではなく、かすかな記憶の一端をつかんだような上品な情緒が出ています。ただ、”記憶のかけら” はやや抽象的で、俳句としてはもう少し “具体の側” に寄せると説得力がぐっと増します。本句では金木犀に関連性が生じるよう、かけらー>かほり とするのが良いでしょう。
参考例 この庭に記憶のかほり金木犀
游々子
新涼や古書には去年の栞あり
小諸なる浅間の三筋茸汁
土佐鰤や吞み尽きぬまで笑ふ衆

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