山小舎だより(29)令和7年10月22日 小諸虚子庵
先週のことになりますが、小諸の布引温泉というところに1泊して、虚子が昭和19年9月から22年10月まで疎開していた小諸の虚子庵を見学してきました。この疎開の期間について虚子は『小諸雑記』という随筆を編んでいて、その生活の詳細を窺い知ることが出来ます。

虚子が疎開先に小諸を選んだのは、五女である 高木晴子 と晴子一家が、小諸市の小山栄一氏という旧知の縁から小諸へ移ったことが契機となっていて、虚子はその小山氏が所有する一軒家を借りて、いと夫人と二人で移住したのでした。
その家(八畳と六畳と台所)は今、新たに作られている虚子記念館の隣に昔の姿そのままに移築されていて、内部を自由に見て廻ることができます。


虚子はこのとき70歳になっていましたが、山国の新しい環境のなかで、これまでとは違った境地の句を残しています。

この時期の虚子の句は『小諸百句』および『虚子六百句』に収められています。あえて6句だけを取り出すと次のような句が有ります。
ラジオよく聞こえ北佐久秋の晴 (昭和19年9月4日)
山の名を覚えし頃は雪の来し (昭和19年11月6日)
冬山路俄にぬくき所あり (時期明示なし)
枯菊に尚色といふもの存す (時期明示なし)
山国の蝶を荒しと思はずや (昭和20年5月)
初蝶来何色と問ふ黄と答ふ (昭和21年3月29日)
これらの句の中で最も小諸らしさがあるのは「山国の蝶」の句であると思います。これまで鎌倉のような都会で見てきた蝶は優美なものであったが、どうだ小諸でみる蝶を荒々しいものと思わないか、という句ですが、蝶そのものに変わりはあるはずないのですが、それをこのように詠んだところが俳句的であると解釈されます。この句は虚子庵では色紙になっていて、床の違い棚に飾られていました。

小諸なる浅間の三筋茸汁(きのこじる) 游々子

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