鬼を狩る子孫 第十一話 相模川(7)

名前が付いた瞬間

その日の夜、
 悠夜は机に広げたノートを前に、
 なかなかペンを動かせずにいた。

 頭の中には、
 今日聞いた話が
 幾重にも重なっている。

 本物の杭。
 けれど本流ではない。
 支流に架かっていた、
 名もない橋。

 それが――

「 “相模川の橋脚” ……か」

 声に出してみると、
 言葉の重さが、
 逆に不自然に感じられた。

 翌日、
 四人は再び集まっていた。

 場所は学校の図書室。
 古地図と新聞の切り抜き、
 プリントアウトしたネット記事が、
 机いっぱいに広がっている。

創作小説の挿絵

「これ……」
 真衣が一枚の紙を指さす。

「最初の記事、
 “杭が見つかった”
 ってだけなんだよね」

 悠夜が頷く。

「 “橋脚” って言葉、
 二本目の記事から出てくる」

「三本目で、
 “相模川の橋脚” になる」
 蓮が続けた。

 嵐山は、
 腕を組んだまま静かに聞いていた。

「四本目で、
 “頼朝の時代” が出てくる」
 悠夜が言う。

 机の上に並ぶ見出し。

《木杭発見》
《橋の痕跡か》
《相模川旧橋脚》
《鎌倉期の大橋か》

 嵐山は、
 その順番を指でなぞった。

「……名前が、
 だんだん育っとるな」

 三人は黙る。

「最初は、
 “杭” や」

 嵐山は言った。

「次に、
 “橋の一部” になる」

「それが、
 “相模川” を背負う」

「最後に、
 “頼朝” を背負う」

 嵐山は、
 軽く息を吐いた。

「こうなるともう、
 後戻りは難しい」

 真衣が言った。

「名前が付いた瞬間に……
 意味も一緒に
 固定されちゃうんですね」

「せや」

 嵐山は頷く。

「杭は、
 何も変わっとらん」

「変わったんは、
 それを見る側や」

 蓮が、
 少し考えてから言った。

「じゃあ、
 発見者は……
 間違えたんですか?」

「間違えた、
 いうよりな……」

 嵐山は、
 言葉を選ぶ。

「 “間違えたまま、
 話が大きくなった” 」

 沈黙が落ちる。

「誰かが
 止めることは
 できなかったんですか」
 悠夜が言った。

「できたかもしれん」
 嵐山は答えた。

「せやけどな、
 止めるには
 勇気が要る」

 ――これは違うかもしれない。
 ――もっと小さな話かもしれない。

 そう言うには、
 既に多くの人が
 期待してしまっていた。

「発見者にとっても、
 周りにとっても……」
 真衣が言葉を継ぐ。

「 “大きな話” の方が
 魅力的だった」

「せやな」

 嵐山は、
 淡々と言った。

「歴史は、
 静かや」

「けど、
 人は派手な物語を
 好む」

 悠夜は、
 ノートの余白に
 一行書きつけた。

 ――名前が付いたとき、
   事実は動かなくなる。

 その下に、
 もう一行。

 ――動くのは、
   人の解釈だけ。

 窓の外では、
 相模川の方角に
 夕焼けが広がっている。

 川は、
 今日も変わらず流れている。

 名もなく。
 意味も持たず。

 だが、
 人が名前を与えた瞬間、
 川は “物語” になる。

 それが、
 今回の出来事の
 本当の分かれ目だった。