鬼を狩る子孫 第十一話 相模川の杭(4)
流れを取り違える
嵐山は、
足元の地面を見下ろした。
乾いた草の間から、
黒ずんだ木が、一本突き出ている。
人の背丈ほど。
決して巨大ではないが、
人の手で加工された痕跡は、
誰の目にもはっきり分かった。
「これが……
話題になっとる杭や」
悠夜は、
無意識に周囲を見回した。
川はない。
水音もしない。
あるのは、
わずかに盛り上がった地面と、
不自然なほど平らに続く帯状の土地だけだ。
「先生……
川、どこですか」
嵐山は、
すぐには答えなかった。
少し間を置いてから、
ゆっくり言う。
「ここにあった」
蓮が首を傾げる。
「昔の相模川……
ですか?」
「違う」
嵐山は、
即座に首を振った。
「ここはな、
“本流” やない」
三人の視線が集まる。
「江戸の頃、
相模川は
今みたいに一本やなかった」
嵐山は、
地面に向かって
ゆるく線を描くように足を動かした。
「本流があって、
支流があって、
派川があって……
洪水のたびに、
流れは動いた」

「じゃあ……」
真衣が、
慎重に言葉を選ぶ。
「この杭は……」
「支流に架かっとった橋や」
嵐山は、
はっきり言った。
「村と村をつなぐ、
小さな橋やろな。
農道か、
渡し場の補助か……
規模は大きない」
悠夜は、
杭をもう一度見た。
確かに、
頼朝の時代の大橋を想像するには、
小さすぎる。
「でも……」
蓮が言う。
「ニュースじゃ、
“相模川の橋脚”
って……」
「せや」
嵐山は、
苦笑に近い表情を浮かべた。
「皆、
“相模川” いう名前に
引っ張られたんや」
嵐山は、
少し声を低くする。
「今の川を基準に、
昔を見てしもた」
草の向こう。
わずかに高くなった地形の先を、
嵐山は指さした。
「あっちが、
今の相模川や」
「……遠いですね」
「せやろ」
嵐山は頷く。
「川は、
何百年もかけて
西へ西へ動いた」
「せやのに――」
嵐山は、
杭を見つめて続ける。
「杭は動かん。
人も、
考え方は動かん」
三人は、
黙って聞いている。
「一度、
“歴史的発見”
いう名前が付いた」
「すると、
皆がそこに
意味を乗せ始める」
「頼朝や。
馬入橋や。
伝説や」
嵐山は、
首を横に振った。
「せやけどな……」
少しだけ間を置く。
「間違っとるんは、
杭やない」
三人の顔を、
順に見る。
「流れを、
取り違えとるだけや」
風が吹き、
草が一斉に揺れた。
そこに川はない。
だが、
かつて確かに水は流れていた。
悠夜は、
胸の奥が
静かに冷えていくのを感じた。
(川が動いたのに……
人の頭は、
動かなかった)
杭は、
何も語らない。
ただ、
そこに在り続けているだけだ。
誤解が、
人の側で
膨らんだだけなのだ。
相模川は、
今日も
別の場所を流れている。
そして――
過去の流れを
見失ったところから、
この小さな “事件” は
始まったのだった。


