鬼を狩る子孫 第四話 保護者会の罠(13)

知の包囲網

翌週の火曜日。
職員室には、春雨の匂いが漂っていた。
窓の外で傘の色がにじみ、机の上の書類にも湿り気が移る。
嵐山は新聞の地域欄を静かに折りたたみ、教頭の机の上に置いた。

「えらい派手に載っとるなあ、“鏡ヶ淵再開発・市と地元が協力へ” 。あんたが言うとった “地域連携” て、こういうことやったんか」

教頭は咳払いをして新聞を引き寄せた。

「誤報ですよ、誤報。まだ決定ではありませんから」

嵐山は紅茶をすする。

「決定やなくても、だれかが “決まったことにしたい” んやろ。うちのかみさんがねえ、昔よう言うてましたわ。“早とちりする人ほど、段取りが好き” ってね。先に書類を作って安心するんですよ。世の常ですな」

教頭は乾いた笑いを浮かべた。

その午後、悠夜たちは嵐山の研究室を訪ねてきた。蓮が手にしていたのは、鎌倉市役所の開発資料の写しだった

「先生、ここ見てください。“地盤調査済” って書いてありますけど、調査日が僕らが行った日よりも後なんです」

嵐山は資料を覗き込み、眉をわずかに上げた。

「ふむ……なるほど。見てもへんもんを “見た” ことにしてるわけや。まあ、人間、都合のいい記憶だけは早いもんやな」

悠夜が頷く。

「それに、“水脈なし” の証拠写真、影の向きがおかしいんです。夕方の光なのに、時間は午前九時って書いてある」

嵐山は微笑み、紅茶のカップを置いた。

「ほう……ええ観察眼や。写真の影が、嘘の影を照らしとる。子どもの眼ってのは、ほんま正直やなあ。わしら大人は、見たくないもんを “光の加減” にしたがるから。」

その夜、嵐山は自宅の書斎で小さな封筒を取り出した。宛名は「教育委員会資料室」。中には古地図のコピーと、悠夜たちが撮影した地層の写真。

そして一枚のメモを添えた。

> “この土地はまだ眠っていない。
>  沈黙は同意ではない。”

翌朝、教育委員会にその資料が匿名で届いた。同時に、市議会の担当記者が “開発報告書の不整合” を掴む。

週の半ば、PTA会長夫妻は校長室を訪ねてきた。

「先生、新聞に余計な記事が出ましたわね。あなた、ちゃんと説明なさいよ」

校長は汗をぬぐいながら答えた。

「私は……そんなことは一切……」
「嵐山という先生、あの方が動いているんでしょう? 昔から気に入らないのよ、あの皮肉な物言い。」

そのとき、ドアがノックされ、嵐山が顔を出した。

「失礼します。――えらい賑やかですな」

創作小説の挿絵

 PTA会長の笑みが引きつる。嵐山は柔らかく頭を下げた。

「校長先生、こないだの答申、ちょっとだけ見せてもろてもええですか?」
「な、なにを……」
「ちょっと、確認したい箇所がありましてな。“水脈の安定” の記述、あれ引用元が “市地盤局” になっとりますけど……そこ、去年で統廃合されて “環境保全課” に変わっとるんですわ。」

静寂。

PTA会長が小さく舌打ちした。嵐山は、まるで天気の話でもするように微笑んだ。

「つまり、存在せえへん部署の名前を “引用” しとる。まあ、言うなれば――**“幽霊に証言させた”**ようなもんやな。いやぁ、想像力のある文書ですわ」

校長は額に手を当て、目を伏せた。嵐山はドアの外に出たが、数歩進んだところでふと立ち止まった。

「あ、そうそう――もうひとつだけ」

振り返る嵐山の笑みは穏やかだった。

「うちのかみさんがねえ、こんなこと言うんですわ。“嘘をつく人ほど、字が綺麗になる” って。紙を信じて、筆跡まで整えるんですな。で、不思議と “本当のこと” を書く人は、字が揺れる。……人の心が入っとるからやろな」

PTA会長夫妻は言葉を失い、校長は沈黙したまま窓の外を見つめた。外の桜の花びらが舞い、青シャツの背に淡い光を落とす。

嵐山は静かに帽子を取って言った。

「いやぁ、今日もええ天気で。風がよお吹いてますわ。」

その声には、どこか愉快そうな軽さがあった。