鬼を狩る子孫 第四話 保護者会の罠(11)
沈黙の水面
鏡ヶ淵の岸辺には、早朝の霧が薄く漂っていた。
昨日とは違う空気だった。
嵐山と悠夜たちは、再び池のほとりに立っていた。
蓮が差し出したのは、市の古地図のコピーだった。
「先生、これ、江戸時代の “鎌倉絵図” です。ここ、鏡ヶ淵のあたり、昔は “鏡ヶ井(かがみがい)” って書かれてます」
嵐山は覗き込み、静かに頷いた。
「ほう…… “井” と “淵” やと、大違いやな。 “井” は湧水や。“淵” は溜まり。つまり、ここはもともと湧き出す水の源やったっちゅうこっちゃ」
大地が足元の地面を見つめた。
「でも、今はもう水が流れてません」
嵐山は膝をつき、土をひと握り取った。湿り気の残る赤土をこすりながら、呟く。
「見てみい。この層。上が埋立、下は粘土質や。もともとここには小流れが通っとったはずや」
蓮が目を丸くした。
「じゃあ、校長の “湧水はないから安全に開発できる” って話、違うんですか?」
「そうや。湧水を止めたんは人や。その上にコンクリを打って、“もう水はない” 言うてるだけや」
嵐山は立ち上がり、ゆっくりと池を見渡した。朝の光が木立を透かし、わずかに残る水面を金色に照らしている。
「鎌倉はな、土地そのものが “記憶の器” や。戦も災もあったけど、水脈だけは嘘をつかん。鎌倉幕府が滅んだあとも、この谷戸はずっと生きとった。人が歴史を消しても、土地は沈黙のまま覚えとるんや」
その言葉に、悠夜は深く息を飲んだ。静かな谷の空気の中で、鳥の声さえ遠くに聞こえる。
「先生、じゃあ、これが証拠になるんですか?」
「なる。……けど、証拠や言うより、真実や。“この土地はまだ息をしてる” ――それをどう扱うかが、人間の値打ちや。」
嵐山は地面に棒を突き立て、地層の段差を示した。
「見てみい、上層の人工土は五十年も経っとらん。けど下の層は鎌倉期の堆積や。貝殻も混じっとる。つまり、ここは “谷戸の泉” やった。開発なんぞしたら、また流れが呼び返されて、全部沈むで」
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蓮が地図をめくりながら言った。
「 “鏡ヶ井” って、もしかして “鏡のように澄んだ井戸” って意味じゃないですか?」
「せや。鎌倉には “姿見の井” “影向の池” いう地名がようある。人は昔から、自分の顔を水に映して “心の濁り” を確かめたんや。この池も、おそらくはそういう場所やったんやろな」
悠夜が小さく頷いた。
「……鏡に映るのは、自分なんですね」
嵐山は目を細めた。
「そうや。人はいつも、自分の都合で歴史を映す。ほんまの歴史は、鏡の裏にこびりついた埃みたいなもんや。それを拭うのが、わしらの仕事や」
風が吹き、桜の花びらが一枚、水面に落ちた。波紋がひろがり、陽の光を揺らす。
嵐山は帽子を取り、少年たちに向き直った。
「覚えとけ。“土地が沈黙しているとき” こそ、耳を澄ますんや。その沈黙が破られるとき、人間はまた同じ過ちを犯す。鎌倉もそうして、何度も沈み、何度も甦った。わしらはその証人にならなあかん」
悠夜は真剣な表情で頷いた。蓮はポケットからノートを取り出し、そっと書き留めた
「 “沈黙の水面、語らぬ歴史” ……」
嵐山は微笑んだ。
「ええ題や。――それ、使わせてもらおか。」

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