鬼を狩る子孫 第二部・過去編 第二章 洛中の渦(8)
第8回 無精髭の正体
夕刻の洛中は、昼とは別の顔を見せる。
店は戸を閉め、通りには影が長く落ちる。
表通りの賑わいが引くころ、裏の動きが始まる。
朔太郎は、橋を渡り、細い路地へ入った。
京へ来てから、同じ男を何度か見ている。
峠。
洛中の争い。
道場の門前。
無精髭の浪人。
ただの流れ者には見えぬ。
今夜もまた、その背を見つけた。
男は路地の奥へ入っていく。
朔太郎は距離を保ったまま歩く。
やがて、低い怒声が聞こえた。
「払えんのか」
「待ってくれ」
路地の行き止まり。
小さな油屋の裏口で、三人の男が一人の若者を囲んでいた。
若者は帳面を抱えたまま壁に押しつけられている。
「今日払う言うたやろうが」
「店が焼けて……まだ立て直しが」
拳が振り上がる。
そのとき。
「そこまでにしとき」
低い声が落ちた。
無精髭の浪人が立っていた。

男たちは振り向く。
「なんや、おっさん」
浪人は歩み寄る。
刀には触れていない。
ただ、若者と男たちの間に立つ。
「借りは返さなあかん」
浪人が言う。
「せやけど、今ここで潰したら、返すもんも返らん」
男たちは顔を見合わせる。
「……あんた、誰や」
浪人は答えない。
ただ、若者の帳面を手に取り、目を通す。
「この店は嵯峨の問屋に荷を入れとる」
さらりと言う。
「秋には持ち直す。焦って潰すより、待つ方が得や」
男たちの目つきが変わる。
「……あんた、よう知っとるな」
浪人は帳面を若者に返した。
「京は狭い」
それだけ言う。
男たちは舌打ちし、去っていく。
若者は深く頭を下げた。
「助かりました」
浪人は手を振る。
「礼はいらん」
若者はまだ頭を下げたまま言う。
「あなた……霧村の――」
言葉が止まる。
浪人は、ほんの一瞬だけ目を細めた。
「人違いや」
それだけ言って、歩き出す。
朔太郎は路地の入口に立ったまま動かない。
聞こえた。
確かに。
霧村。
その名を、あの若者は口にした。
だが、浪人は振り向かなかった。
闇が路地を包む。
男の背は、人波の中に消えていく。
朔太郎は追わない。
今はまだ、動く時ではない。

