鬼を狩る子孫 保護者会の罠(10)

鎌倉・鏡ヶ淵の調査

翌朝、春の空はうっすらと霞んでいた。
悠夜たちはリュックを背負い、鎌倉駅前に集まった。
観光客の姿がまばらな早朝の通りには、潮の匂いと山の湿り気が入り混じっている。

嵐山は手に古地図を持ち、ゆっくりと歩み出した。

「鎌倉いうんはな、三方を山に囲まれた “谷の都” や。海しか出口がないから、守るにはええけど、逃げるには難儀やった。せやから、この土地の水も風も、どこか閉じ込められとる」

蓮が足元の小川を覗き込みながら言った。

「だから池や井戸が多いんですね」
「そうや。鎌倉は “谷戸(やと)” 言うて、山の裂け目みたいな場所に村や寺が並んどる。その奥に湧水があって、昔の人はそれを “神の口” やと思うた」

一行は雪ノ下を抜け、二階堂の方へと向かう。

観光客の声が遠のくにつれ、道は細くなり、両側に竹林と石垣が迫ってきた。空気がひんやりとして、鳥の声がやけに近くに聞こえる。

「先生、“鏡ヶ淵” って、ほんとにあるんですか?」

悠夜の問いに、嵐山は微笑んだ。

「地図には載っとらん。けど、古い文献にちょろっと出てくる。“鎌倉の東谷に鏡のごとき池あり。夜ごと月を呑む” ――ちゅうてな」

「月を呑む……」

と蓮が呟いた。

「なんか、伝説っぽいですね」
「伝説と歴史は、よう似とる。ほんまにあったことを、人が怖がったり、飾ったりして形が変わるんや」

坂道を登り切ると、杉の木立の向こうに、古びた石段が現れた。その先は細い谷筋になっており、苔むした岩の間を細い流れが光っている。風が止まり、湿った匂いが強くなる。

「ここが……鏡ヶ淵?」

と大地が声を潜めた。嵐山は頷き、ゆっくりと池の縁へ近づいた。小さな水面は驚くほど静かで、覗き込むと、木の枝や雲の形がくっきりと映り込んでいた。

「これ……鏡みたいだ」

悠夜の言葉に、嵐山は低く応じた。

「せやろ。昔の人は、この静けさを “神の沈黙” 言うた。人の声が消える場所や。よう聴いてみい、音が引き返してくる。」

創作小説の挿絵

三人は耳を澄ませた。鳥の声も風の音も、どこか遠くで途切れ、あたり一面がまるで水の底のように静まり返った。

蓮が息を呑む。

「ほんとに……音が止まった」

その瞬間、悠夜は何かの気配を感じた。足元の水面がかすかに揺れ、そこに自分の顔と――もうひとつ、知らない影が重なった気がした目を凝らしても、もう何も見えない。

「先生……今、何か」

言いかけたところで、嵐山が静かに口を開いた。

「感じたか。それでええ。怖がるな。歴史っちゅうのは、残っとる “声” やない。呼びかける “気配” や」

悠夜は深く息を吸い、うなずいた。池の水は再び静まり、風が戻ってきた。

桜の花びらがひとひら、池に落ち、波紋が広がる。嵐山はその光景を見つめながら、ひとこと呟いた。

「……この土地は、まだ何かを守っとる。ほんまのことを、誰かが見届けるまでな」