鬼を狩る子孫 第二部・過去編 第二章 洛中の渦(9)

第9回 鎖の音

 洛外の夜は、思ったより静かだった。

 昼の市の騒ぎが嘘のように、町の外れは闇が深い。焼け跡の残る寺の境内には、崩れた石塔と焦げた柱がまだ転がっている。

 応仁の乱から三十年。

 それでも、この寺は建て直されぬままだった。

 朔太郎は石段の影に立っていた。

 人の気配がある。

 寺の奥、月の光が瓦礫に落ちるところに、一人の男が立っている。

 昼間、洛中で見た浪人だった。

 背が高く、無精髭。粗末な衣だが、立ち姿は崩れない。

 男は動かない。

 ただ立っている。

 その前に、三人の男がいた。

 ならず者だ。

 腰の刀を抜き、じりじりと距離を詰めている。

「京で粋がる浪人は、ここらで消えてもらおうか」

 声は大きいが、足取りは慎重だ。

 相手の強さが、分かっている。

 浪人は何も言わない。

 ただ立っている。

 手は刀にかかっていない。

 朔太郎は動かなかった。

 助ける気はない。

 だが、目は離さない。

 その時だった。

 カラ……。

 小さな音がした。

 金属の擦れる音。

 カララ……。

 鎖だ。

 ならず者の一人が振り向いた。

 寺の門の影から、一人の男が歩いてくる。

 背が高い。

 肩が広い。

 山で木を伐る者のような体つきだった。

 腰に下げているのは、刀ではない。

 鎖鎌だった。

 鎖が、月の光を受けて光っている。

「なんや、まだ終わっとらんのか」

 男は頭をかいた。

 関西の訛りが強い。

 ならず者の一人が怒鳴る。

「何や貴様!」

「通りすがりや」

 男は笑った。

「腹が減っておったからな」

 その言葉が終わる前に、鎖が動いた。

 シュン、と風を切る音。

 鎖の分銅が一人の手首に巻き付く。

「うぐっ」

 引く。

 体が前に崩れる。

 その瞬間、鎌が跳ねた。

 刃は浅い。

 だが、刀は地面に落ちた。

 ならず者たちは一斉に動いた。

 二人が刀を振る。

 鎖の男は後ろへ跳んだ。

 鎖が円を描く。

 風が鳴る。

 刀は届かない。

 鎖は届く。

 分銅が肩に当たる。

 骨の鳴る音。

 もう一人の刀が来る。

 男は体を沈めた。

 鎖が地を擦る。

 次の瞬間、分銅が膝に絡む。

 引く。

 男が倒れる。

創作小説の挿絵

 朔太郎は思わず息を呑んだ。

 刀の間合いではない。

 もっと遠い。

 そして、もっと速い。

 鎖鎌。

 聞いたことはある。

 だが、実際に見るのは初めてだった。

 残った一人が、怒りに任せて斬りかかった。

 その時だけ、浪人が動いた。

 半歩。

 ただ、前に出ただけだった。

 刀は抜かない。

 だが、男は止まった。

 目を見たのだ。

 その目の奥にあるものを。

 男は後ずさりした。

 次の瞬間、鎖が飛ぶ。

 刀が宙を舞った。

 静けさが戻る。

 鎖鎌の男は、肩を回した。

「ほれ」

 落ちていた刀を蹴る。

 ならず者たちは、もう立ち上がらない。

 朔太郎は、石段の影から出なかった。

 だが、その視線は逃さない。

 浪人は、ゆっくりと振り向いた。

 その目が、朔太郎を見る。

 一瞬だけ。

 何も言わない。

 しかし、その目は知っている目だった。

 それから男は背を向け、寺の闇の中へ歩いていった。

 鎖鎌の男が、その背中を見送る。

「変わった浪人やな」

 そして、ふと振り向いた。

 石段の影。

「お前や」

 朔太郎は動かなかった。

「さっきから見とったやろ」

 鎖鎌の男は言う。

 朔太郎は答えない。

「飛び込まへんかったな」

 鎖を肩に巻きながら言った。

「大抵の奴はな」

 男は地面の刀を蹴る。

「こういう時、慌てて出てきて斬られる」

 そして笑った。

「けどお前、動かへんかった」

 にやりとする。

「ええ目しとるわ」

 朔太郎は、静かに石段を降りた。

 男はじろじろと眺める。

「権太や」

 鎖を肩に巻きながら言った。

「お前は?」

 朔太郎は少し考えた。

「……朔太郎」

 権太はうなずいた。

「ほな、腹減っとるやろ」

 寺の外へ歩き出す。

「飯や」

 月は高い。

 寺の外れの道の向こうに、人影があった。

 女だった。

 立ち止まり、こちらを見ている。

 顔は見えない。

 だが、その目だけは、確かに二人を見ていた。

 すぐに人の流れに紛れ、姿は消えた。

 朔太郎は気づかなかった。

 鎖鎌の男だけが、ちらりとそちらを見た。

「京は広いな」

 権太は笑った。

 夜の京は、まだ眠っていなかった。