鬼を狩る子孫 第三話 新任校長の履歴書(20)

嵐の前

翌朝の校舎は、やけに音が少なかった。
いつもなら賑やかな昇降口の声が、今日は薄い膜に包まれているみたいに遠い。
黒板には「授業は平常どおり」という貼り紙。けれど誰もが、平常という言葉をうまく信じられなかった。

ホームルーム。
担任が出欠を取り終えると、教頭が扉のところに姿を見せた。細い目をさらに細め、にこやかに。

「皆さん、昨日の “誤解” は忘れましょう。立場をわきまえ、勉学に励むこと。以上です」

扉が閉まる音だけが、妙に大きく響いた。

休み時間、廊下。
悠夜、蓮、大地は人目を避けるように並んで歩いた。

「……蓮、大丈夫か?」
「うん。昨日はちょっと、足が震えたけど」
「震えて当然だ」

大地が低く言う。

「でも逃げない」

階段の踊り場で、ふいに声がした。

「君たち」

振り向くと、かんぴょう先生が立っていた。
頼りなげな細い肩に白いチョークの粉が付いている。

「昨日のことは、私も見ていた。……絵の具はね、光があるから鮮やかに見える。だが、ときに “濁り” が光を呑み込むことがある。校内で、いまそれが起きている」
「先生……」
「気をつけなさい。困ったら、美術室へ来なさい。鍵は、少しの間なら私が預かっておく」

かんぴょう先生は何気ない調子で言い、すっと踵を返した。
その背に、三人は小さく頭を下げた。

放課後近く、渡り廊下。
窓の外でカラスが一羽、低く旋回して去っていく。
そこへ、嵐山先生が現れた。大きな影が床に落ち、三人の前で止まる。

創作小説の挿絵

「昨日の件、すまんかったな。もう少し早う入れたらよかった」
「先生が来てくれて、助かりました」

悠夜が言う。

「ええねん。——それでや」

嵐山は声を落とした。

「勾玉のことは、君ら自身がもう分かっとるやろ。心を合わせれば光を放つってな。
けどな、闇はそこを狙ってくる。心がちょっとでも離れたら、すぐに裂け目を突いてくるんや。
だから忘れるな。“つながりを守る” いうことが一番の武器や」

三人は息をのんだ。

「行くんですね」

大地が短く言った。

「行く。……ただし、無茶はせん。相手は “怖がらせる力” をよう知っとる。怖さに飲まれたら負けや」

蓮がそっと顔を上げた。

「怖いけど、先生が一緒なら——」
「おう。わしはでっかいだけが取り柄やさかいな。盾ぐらいにはなれる」

悠夜は小さく頷き、三人で見合わせた。
目と目が合う。それだけで、胸の奥に火が灯る。

「——今夜、日が落ちてから、校門の外で集合や」

嵐山は穏やかに頷いた。

「わしも行く」

その時、廊下の端で紙が一枚、ひらりと舞い上がった。
掲示板の注意書きが勝手に剥がれ、床を滑ってくる。
風はない。けれど文字だけが微かに滲み、黒い線が蛇のように震えた。

「見たか?」

大地が囁く。

「見た」

悠夜は静かに答えた。

「だから、行く」

蓮が小さく拳を握る。

「三人と、嵐山先生で」

夕暮れのチャイムが鳴った。
音はいつもと同じはずなのに、今日はどこか遠く、そしてはっきりと聞こえた。
——嵐の前の、短い静けさが終わろうとしていた。