鬼を狩る子孫 第二話 影を落とす契約書(5)

(5)
夜の街はひっそりと静まり返っていた。
田野倉の家の二階、広い応接間の一角にある書斎。その机に突っ伏すようにして、彼は酒の残り香を漂わせながらうなだれていた。

窓の外では街灯の光がかすかに差し込み、机上に散らばった設計図や契約書の束を、無造作に照らしていた。体育館建設の見積もり、資材搬入の計画、そして――市会議員との裏取引をにおわせる覚え書き。

「ちくしょう……どうしてだ……」
田野倉は声を震わせ、紙束を握りしめた。

土建屋の倅(せがれ)として育った彼は、幼いころから工事現場で泥にまみれ、職人たちの背中を見て育った。父は寡黙だが誠実で、「人に恥じる仕事だけはするな」と口癖のように言っていた。

創作小説の挿絵
工事現場での田野倉少年と父親

だが時代は変わり、公共事業は政治家と癒着した業者ばかりが幅を利かせるようになった。清廉さを守った父は仕事を失い、やがて病に倒れた。

――誠実だけじゃ、家族は守れない。

その思いが田野倉を市会議員のもとへと足を運ばせた。口にするのもはばかられる裏金を用意し、体育館の受注を得る代わりに「未来」を売り渡した。
彼の胸にあるのは、苦しいながらも笑顔を見せてくれる妻の姿。そして大学に進みたいと願う息子の顔。

「……俺は……間違ってない……家族を守るためなんだ……」

そのつぶやきに、部屋の空気がひやりと凍りつく。
黒い霧が、机の脚元からにじみ出すように立ち上がっていた。

「守る? 違う……その欲望がゆえに、私はお前に支払いを迫るのだ」

耳元で響いた低い声に、田野倉の瞳が見開かれる。
視界の端で、書類の影がにじむように揺れ、そこから鬼の輪郭が浮かび上がる。

「ち、違う……俺は……俺は……」
「違わぬ。お前は望んだのだ。金を。権力を。誇りよりも――楽な道を」

鬼の赤い眼光が、田野倉の胸奥をえぐるように射抜いた。
心臓が軋むように痛み、冷や汗が背を伝う。

「やめろ……来るな……!」

必死の叫びに応じるかのように、机の上の契約書がばさりと風もないのにめくれ上がった。まるで紙そのものが田野倉を縛りつける鎖であるかのように。

しかし、そのとき。
ごう、と窓の外から風が吹き込み、紙束の間に差し込まれていた一枚がふわりと宙を舞った。
どこか得体の知れぬ筆跡で書かれた、不気味な文言が連なる紙切れだ。

田野倉は思わずそれに手を伸ばした。指先が触れた瞬間、彼の胸に焼けつくような痛みが走る。
「うっ……あああっ!」

その苦悶の叫びは、夜の静寂を切り裂いて響いた。