俳句的生活(341)-連句(23)-
連句(23)『モネの絵の巻』
令和7年6月21日(土)〜6月23日(月)
連衆 紀子 二宮 典子 游々子
6月になって3回目の連句です。今回も3日で巻きあげることが出来ました。2日目は私が蓼科に移動したことで進行が遅くなったのですが、その分を3日目で取り返して完成しました。
蓼科に来てからはずっと雨が続いていて、山荘に閉じ籠ったままなのですが、連句をしている御蔭で退屈に思うことは全くありません。虚子は俳句を極楽の文芸であると言っていますが、私は連句こそが極楽の文芸であると思っています。
(発句) モネの絵を飾る山荘灯涼し 紀子
(脇句) 往古を偲ぶ耳に風鈴 二宮
(第三句) 街中のレトロ喫茶は賑はひて 典子
(第四句) 蹴られた缶のコロコロ廻る 游々子
(第五句) 月明りジャングルジムの天辺に 紀子
(第六句) 窓の外より鈴虫の声 典子
(第七句) 風招くススキ高原旅の道 二宮
(第八句) 馬のすするは枯れ草の露 游々子
(第九句) 初姫に隣る業平菖蒲池 紀子
(第十句) 映画「国宝」元彼と観る 典子
(第十一句) 閑居して地図を相手に未知の土地 二宮
(第十二句) ジュール.ヴェルヌを読みたる昔 紀子
(第十三句) 月凍ててディズニーシーの寝静まる 典子
(第十四句) 遠く波うつ伊豆の島々 二宮
(第十五句) 茶の里は膝寄せ語る土の産 游々子
(第十六句) 畦道急ぐ登校の子ら 典子
(第十七句) 平和の世託し陽光桜植う 紀子
(第十八句) 新芽の育ち大樹とならん 二宮
(第十九句) 綾の手に師の心映ゆ大石忌 游々子
(第二十句) 街ゆく舞妓の揺るる簪 典子
(第二十一句) ギヤマンの盃砕け赤き血が 游々子
(第二十二句) 障子に映る無言の火影 二宮
(第二十三句) 雲の峰八雲を追つて松江まで 典子
(第二十四句) 万の神の涼しく御座す 紀子
(第二十五句) 思春期に縁結びする智慧もなく 二宮
(第二十六句) シニアと成りて加那のこと知る 游々子
(第二十七句) 島唄は風に流れて波に乗り 典子
(第二十八句) 梯梧の花の咲く慰霊の日 紀子
(第二十九句) 西行の庵で月見る銀の猫 游々子
(第三十句) 紅葉早き毛越寺出て 二宮
(第三十一句) シルバーウィーク新幹線のグリーン車で 紀子
(第三十二句) かっては青春十八切符 游々子
(第三十三句) ペンションの夕餉は全て地元産 典子
(第三十四句) ワイングラスを傾げ乾杯 紀子
(第三十五句) 五十年染井吉野の花盛り 二宮
(挙句) 沖には白帆春は爛漫 游々子
モネの絵を飾る山荘灯涼し
発句は夏の季語「涼し」で始まっています。夏は暑いのに、どうして「涼し」が夏の季語になるかというと、そこが日本人の感性の細やかなところで、暑い中にも何かに涼しさを感じるとしたものです。作者は山荘の灯火に涼しさを感じたと詠んでいます。この山荘は作者によると、大阪の大山崎美術館だそうで、モネの睡蓮の絵が何枚か展示されています。
往古を偲ぶ耳に風鈴
この美術館のある大山崎というところは、明智光秀と羽柴秀吉とが天下分け目を争った古戦場に近く、「往古」はそのことを指しています。耳に風鈴ということで、発句の「涼し」を補完した句になっています。
街中のレトロ喫茶は賑はひて
発句と脇は、同じ季節、同じ場所、同じ時刻で詠むことになっているのに対して、第三句ではそこからジャンプして別のテーマを提供することになっています。ここでは「レトロ」な世界へと誘っています。
蹴られた缶のコロコロ廻る
私が子供だった頃は、缶蹴りというのが主要な遊びでした。これは鬼ごっこから派生したものと思うのですが、隠れた人を探すのに缶を置いた処を離れたすきに、隠れていた別の人が缶に近づき、缶を蹴るという遊びです。こうした遊び、近頃はほとんど見かけなくなってしまいました。
月明りジャングルジムの天辺に
ジャングルジムも子供の遊び装置です。これも危険とかで、公園や幼稚園からはなくなってしまったようです。
窓の外より鈴虫の声
前句が月の座で、それを引き継いだ句となっています。
風招くススキ高原旅の道
鈴虫からススキ高原へと、更に旅へと展開しています。
馬のすするは枯れ草の露
昔の旅に馬は欠かせない存在でした。
初姫に隣る業平菖蒲池
この句は伊勢物語に題材を取っています。なぜ伊勢物語かというと、この物語には業平の東下りという関東への旅が描かれているからです。このあたり、旅つながりで続いています。菖蒲池は業平の有名な歌「唐衣着つつなれにし妻しあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」の各句の先頭の文字、か・き・つ・ば・た を踏んだもの。初姫とは筒井筒の少女を指しています。連句は古典の世界へと入っていきました。
映画「国宝」元彼と観る
伊勢物語絵巻は国宝になっているので、このように詠んでいます。
閑居して地図を相手に未知の土地
松本清張の小説限『点と線』では、時刻表を見ることを趣味としている人物が描かれていますが、地図によって見知らぬ土地に思いを馳せるということもあるあるです。
ジュール・ヴェルヌを読みたる昔
ジュール・ヴェルヌの小説には『八十日間世界一周』というのがあって、文字通り世界一周の旅をしています。
月凍ててディズニーシーの寝静まる
そんなメルヘンの世界に浸るにはディズニーシーが一番の施設でしょう。またジュール・ヴェルヌには『月旅行』という小説もあります。
遠く波うつ伊豆の島々
ディズニーシーは海をテーマにしたパークです。伊豆は見えませんが、東京湾の先には三浦半島が横たわっています。
茶の里は膝寄せ語る土の産
この句は私が詠んだ句です。踊り子がらみの句にしようかと最初は考えたのですが、それでは余りに近すぎると、伊豆の隣の駿河を候補として考えてみました。ここはお茶の産地です。たまたまその日の朝のNHKの番組で、南山城のお茶が取り上げられていたので、それを題材にしてみました。土の産(うぶ)とは木津川がもたらした肥沃な土壌のことだそうで、地元の農家の女性は、集まりがある毎に、土の産に感謝していました。
畦道急ぐ登校の子ら
畦道は茶畑からの連想です。
平和の世託し陽光桜植う
こうした田舎には一本の桜が良く似合います。戦争が世界各地で起きている今、こうした樹に平和を託せずにはいられません。
新芽の育ち大樹とならん
この桜には大樹に育ってほしいものです。
綾の手に師の心映ゆ大石忌
この句も私が詠んだ句です。何句か田舎を詠んだ句が続きましたので、場所を賑やかな処に替えてみました。大石忌は春の季語で、旧暦2月4日の赤穂浪士切腹の日に合わせて、新暦3月20日に京都祇園の一力亭では、大石忌と呼ばれる法会が行われています。ここでは京舞の師匠である井上八千代が舞を披露することになっていて、師匠の手の繊細な使い方は師匠の心を映したものであると詠んだ句です。
街ゆく舞妓の揺るる簪
祇園小路には舞妓さんの姿がよく見かけられます。
ギヤマンの盃砕け赤き血が
これも私の句。この日、米軍がイランの核施設を空爆したニュースが入って来たのでこんな句を詠んでみました。
障子に映る無言の火影
戦火が障子に映っている様が詠まれています。「無言」としたことで、多くの命が奪われていることを暗示しています。
雲の峰八雲を追つて松江まで
「雲の峰」は入道雲のことで夏の季語となっています。その雲を見て八雲の国といわれる出雲国へとやって来たという句です。
万の神の涼しく御座す
出雲大社は万の神の集まる処です。
思春期に縁結びする智慧もなく
出雲大社は縁結びの神様ですが、思春期には縁結びで神社にお参りすることはなかったと述懐しています。
シニアと成りて加那のこと知る
だけどシニアになってからは、加那という愛すべき人を知ったではありませんか。この句が詠まれた6月23日は沖縄戦が終了し慰霊祭が行われた日でした。
島唄は風に流れて波に乗り
琉球の衣装で舞い歌われる島唄は何とも言えない風情があります。
梯梧の花の咲く慰霊の日
デイゴは春から夏にかけて咲く赤い花です。かってはベトナム反戦ソングのモティーフとなりました。
西行の庵で月見る銀の猫
源平合戦が終了し、焼失した東大寺大仏殿の修復費用を集めるために、西行法師は平泉に向い、途中の鎌倉では頼朝が銀製の猫を西行に与えます。その故事に因んで大磯の鴫立庵には、銀の猫の碑が置かれています。
紅葉早き毛越寺出て
平泉には浄土庭園で有名な毛越寺(もうつうじ)があります。作者は平和を願ってこの寺を詠んでいます。
シルバーウィーク新幹線のグリーン車で
平和が続く日本では、夫婦そろってフルムーンパスで新幹線が乗り放題できます。
かっては青春十八切符
そんなシルバーも若い時は5枚つづりの青春18切符のお世話になったものでした。
ペンションの夕餉は全て地元産
宿も高級なところではなく、ペンションを利用したものです。
ワイングラスを傾げ乾杯
最後の挙句はハッピーエンドにする決りになっているので、二句前のこの句からその準備に入っています。
五十年染井吉野の花盛り
満開の吉野の桜、一歩手前の準備です。
沖には白帆春は爛漫
最大限の春のハッピーエンドとなっています!!
今回の連句では、イラクや沖縄、関西や関東、中世から現代までの事柄が詠まれました。絵巻物として豊かなものになったかどうか、また読み直してみることに致します。

