俳句的生活(342)-連句(24)-

早いもので、今年も半分が過ぎてしまいました。今回は後半年で最初のものとなる連句です。

連句(24)『海開きの巻』
令和7年7月1日(火)〜7月4日(金)
連衆 二宮 游々子 紀子 典子

(発句)    須磨の浦万博望む海開き       二宮
(脇句)    高みに振らる紅白の旗        游々子
(第三句)   再生の巳年も残り半分に       紀子
(第四句)   不老長寿の薬に惹かれ        典子
(第五句)   月見して少し世間を忘れたし     二宮
(第六句)   草庵に聞く蓑虫の声         紀子
(第七句)   秋風に一閃綱の髭切丸        游々子
(第八句)   柳生の里にコスモス満ちて      典子
(第九句)   待ち持てる期待一瞬砕け散る     二宮
(第十句)   恋は文より和歌より始む       紀子
(第十一句)  どぜう食む隅田の風に触れ太鼓    游々子
(第十二句)  山手線を降りる各駅         二宮
(第十三句)  喧騒の絶えぬ不夜城月冴ゆる     紀子
(第十四句)   玉子は染まるおでんの色に      游々子 
(第十五句)  若冲の展覧会の列長し        典子
(第十六句)     文人画家といふ二刀流                  紀子
(第十七句)  吉田山宗忠神社櫻坂         二宮
(第十八句)  心浮き立つ春の徒然         游々子
(第十九句)  行き先の分からぬツアー風光る    典子
(第二十句)  輪廻説きたる高僧卒寿        紀子
(第二十一句) 周作の『深い河』読みガンジスへ   典子
(第二十二句) 象の部隊はアルプスを越ゆ      游々子
(第二十三句)  噴水に願掛けコイン三枚を      紀子
(第二十四句) 祈りは多し世界と暑さ        二宮
(第二十五句) わが宿の大樹連理の枝しづか     游々子
(第二十六句) 実りし恋はえくぼの人で       典子
(第二十七句) 交渉の合意は遠しゴール未だ     紀子
(第二十八句) ポーカーの出し札迷い出す手     二宮
(第二十九句) ビル街の有明月の淡き色       典子
(第三十句)  落柿舎の柿今か今かと        游々子
(第三十一句) 紅葉も億年進化の谷と山       二宮
(第三十二句) 吾子の夢見る恐竜博士        典子
(第三十三句) 陸続きなりし大陸その昔       紀子
(第三十四句) パンゲアはるかナウマン象来     二宮
(第三十五句) 花枝垂るフォッサマグナを下に見て  游々子
(挙句)    初虹架かる渓流の空         典子

須磨の浦万博望む海開き

今回の連句の始まりは7月1日で、それにあわせて発句は「海開き」、夏の季語です。作者は神戸在住の人。須磨の海岸からは、沖に万博会場の夢州が見えるのでしょう。

高みに振らる紅白の

海開きの日には、ライフセーバーの訓練が行われます。そこではシンボルである赤と白が田形となっている旗が振られます。須磨は一の谷がある源平の古戦場。かってそこでは源平の赤と白の旗が靡いたものでした。

再生の巳年も残り半分に

巳年の今年も早半分が過ぎてしまいました。蛇は脱皮することで、再生の象徴とされています。我々も残りの人生を一日一日新たな気持ちで生きていきたいものです。

不老長寿の薬に惹かれ

再生を繰り返せば不老長寿に辿り着くのではという句です。

月見して少し世間を忘れたし

不老長寿、それは仙境の世界。そこでは月見して世間の俗事から離れたい、とするものです

草庵に聞く蓑虫の声

草庵はまた仙境のひとつ。そこで聞く虫の声は何とも言えぬ “あはれ” の情を抱かせるものでしょう。本句は芭蕉の「蓑虫の音を聞きに来よ草の庵」を踏んでいます。蓑虫が秋の季語です。

秋風に一閃綱の髭切丸

この句は私が詠んだものですが、蓑虫の傍題に「鬼の子」というのがあります。それより渡辺綱が女に化けた大江山の鬼の腕を切ったというエピソードを連想しました。使われた刀は髭切という源氏に伝わる名刀で、後に鬼切丸と呼ばれるようになったとのことです。余談となりますが、綱が鬼の腕を切ったのは一条戻橋という処で、一条通りが堀川通りと交差する地点です。現在の京都御所は今出川通りに面していますが、昔の平安京の北辺は一条大路でした。

柳生の里にコスモス満ちて

刀=剣豪より柳生石舟斎が治めた柳生の里を連想しています。

待ち持てる期待一瞬砕け散る

この句の解釈は難しい。吉川英治の『宮本武蔵』では、武蔵を追ってヒロインのお通が柳生の里まで来るのですが、そこでも武蔵に会えなかったことを私は連想しました。お通は文を伴の城太郎少年に託し武蔵に渡すのですが、武蔵は剣の修行中の身であるとして、文を開こうとはしませんでした。この小説が書かれたのは昭和10年、同じ年に書かれた倉田百三の『出家とその弟子』とともに、精神性の高いものが好まれた時期だったのです。

恋は文より和歌より始む

たしかに昔の恋は、和歌だけの手紙を送ったものでした。若い人は今スマホでその文化を引き継いでも良いと思うのですが。

どぜう食む隅田の風に触れ太鼓

和歌による恋と言えば業平。彼は東下りで隅田川まで来ています。都鳥の歌に因んで名付けられたのが言問橋で、少し下流の両国には国技館があり、また近くには有名などぜう屋があり、夏の暑い時期に炭火で煮たどぜう鍋を冷酒で頂くのは風情あるものです。

山手線を降りる各駅

土地が隅田ということで、山手線が詠まれました。

喧騒の絶えぬ不夜城月冴ゆる

山手線の沿線の渋谷・新宿・池袋は東京の中でも屈指の繁華街です。

 玉子は染まるおでんの色に

中でも新橋はサラリーマンの街で、赤提灯の店が並んでいます。おでん屋ではぐつぐつ煮立ったゆで卵の白い色が、段々とおでんの色に染まっていき、食欲をそそるものです。

若冲の展覧会の列長し

玉子より鶏の画家と称された伊藤若冲を連想しています。

 文人画家といふ二刀流

若冲が生きた時代、同じ京都には蕪村が俳諧宗匠として、また 画家として活躍していました。蕪村が生計を立てていたのは画家としてで、現在は国宝とされている蕪村 の絵は大きな屏風図であっても当時3両(現在価値で30万円)で、生活は決して楽ではありませんでした。

吉田山宗忠神社櫻坂

ここは春の花を詠む座で、吉田山にある宗忠神社の脇の櫻坂を詠んでいます。作者は学生時代は吉田山山麓の真如堂の近くに下宿していて、この辺の地理に詳しいのです。

心浮き立つ春の徒然

吉田山より吉田兼好の徒然草を連想しています。兼好は吉田神社の宮司の家の人でした。

行き先の分からぬツアー風光る

ここまで、東京の隅田川であったり京都の吉田山であったり、場所が転々としているので、行先はどうなっているのと問いかけています。季語「風光る」でポジティブな心情が詠まれています。

輪廻説きたる高僧卒寿

ツアー旅より輪廻を連想しています。それを説く僧の年齢が90歳ということで、ここからもポジティブな心持になって来ます。

周作の『深い河』読みガンジスへ

輪廻ということから仏教の聖地であるインドへ飛んでいます。遠藤周作の『深い河』はそれぞれ異なった “業” を抱えた五人の日本人がガンジス川に沐浴することで何かが得られたとする物語です。キリスト者であった遠藤が東洋思想によって悩みの解を見つけようとするところが興味深いです。

象の部隊はアルプスを越ゆ

この句はインド象ではなくアフリカ象で北アフリカのカルタゴから、ピレネー・アルプスを踏破してイタリアに攻め入ったハンニバルを詠んでいます。

噴水に願掛けコイン三枚を

ローマのトレビの泉。ヘップバーンのローマの休日にも描かれています。

祈りは多し世界と暑さ

現在祈りの向かう先は、世界の平和と気候温暖化であろうと訴えています。

わが宿の大樹連理の枝しづか

我が家の庭には「イヌシデ」という雑木が植わっていて、それが大樹となり、枝々は白居易の長恨歌に出てくる連理の枝のようになっているのです。

実りし恋はえくぼの人で

本句と前句は恋の座の句です。

交渉の合意は遠しゴール未だ

日米の関税交渉、どう決着するのでしょうか。

ポーカーの出し札迷い出す手

トランプのディールはポーカーのようです。

ビル街の有明月の淡き色

長丁場の交渉で、夜もしらみ有明の月となってしまった。それでもかすかに残っている色は希望が残っているようにも見えます。

落柿舎の柿今か今かと

その時間経過は落柿舎にもおよび、柿は熟するときを今か今かと待っています。

紅葉も億年進化の谷と山

落柿舎のある嵐山の谷や山は、長い年月の隆起と浸食の結果の産物です。紅葉も桜も人間の手によって、長らく守られてきたものです。

吾子の夢見る恐竜博士

億年まえの地球には恐竜が繁栄していました。その期間は人類が生存している期間の100倍にもなろうとするものです。恐竜は隕石の衝突という外的要因で滅びましたが、人類が自身の要因で滅び、地球が猿の惑星にならないことを祈るばかりです。

陸続きなりし大陸その昔

億年まえの地球は巨大な一つの大陸から成っていました。それが地殻変動で大陸が分裂し移動して現在の形になりました。大陸は現在も移動を続けていて、それが巨大地震を引き起こす原因となっています。

パンゲアはるかナウマン象来

その超巨大な大陸の名前はパンゲア。信州野尻湖畔で発見された象の化石、その象たちは日本が大陸から分離する前に渡ってきたものに違いありません。

花枝垂るフォッサマグナを下に見て

象の化石を発見した人は、ドイツの地質学者のナウマンという人で、発見者の名前が象の名前となりました。ナウマンはまた、日本列島は糸魚川から静岡にかけて大きく割れていることを突き止めて、フォッサマグナと命名しました。これはラテン語で「大きな溝」という意味です。フォッサマグナ地帯にある枝垂桜はフォッサマグナを見下ろしているように思えます。

初虹架かる渓流の空

フォッサマグナの中を流れる渓流の空に架かった虹、まだまだ希望は持てるのだよと語りかけているようです。

今回の連句が巻き上がったあと、句が上がる都度ラインで清記して下さっている紀子さんからは、今までの連句で今回が一番出来が良いのでは、という感想がありました。本ブログを読まれた読者の皆さんの印象は如何でしょうか。