俳句的生活(339)-連句(21)-

連句は快調に回を重ねています。今回は偶然に始まりが6月1日という区切りの良い日に当たったので、これからは毎月を10日で区切って、月3回のペースで行っていこうと思います。これ位のペースが重すぎず軽すぎず、丁度良い塩梅のものであるようです。

芭蕉の時代の連句(俳諧連歌)は、発句は座に招かれた主客が詠むのがしきたりで、芭蕉の連句は多くの場合、門弟の家で行われていたため、芭蕉が主客となり発句を詠んでいました。我々の会ではそのようなことは起こり得なく、4回に一度、順番が廻ってくるようにしています。こうしたことを、いともた易く行えることが、ラインをインフラとする利点の一つであるかと思っています。

連句(21)『万緑の巻』
令和7年 6.1(日)〜6.3(火)
連衆   游々子 典子 二宮 紀子
(発句)    万緑の峡にこだます姐御唄     游々子
(脇句)         三県境に渡る夏風                      典子
(第三句)   雲の影静かに尾根を登る見て    二宮
(第四句)   終着駅へ向かふ鈍行        紀子
(第五句)   白河を越えてしみ入る秋の月    游々子
(第六句)   コンと狐の石となるらん      二宮
(第七句)   新郎の父の挨拶秋の晴       典子
(第八句)   木の実時雨の寿ぐ音色       紀子
(第九句)   神渡り祈りのごとく湖を行く    游々子
(第十句)   曲がりくねりしあこがれし歳    二宮
(第十一句)  山寺を出でて街への九十九折    典子
(第十二句)  ひとよぎり吹く虚無僧の列     游々子
(第十三句)  煩悩を消そうとうつつ月に鐘    二宮
(第十四句)    土鍋おろして小豆粥炊く      典子
(第十五句)    記紀にある五穀の種の実を結ぶ      紀子
(第十六句)  客僧歩む六根清浄         二宮
(第十七句)  襟に咲くやまとごころの山ざくら  游々子
(第十八句)  八十年目の麗らかな海       典子
(第十九句)  日の本へおかへりなさい初燕    紀子
(第二十句)  ヒヨドリの鳴くことば分からず   二宮
(第二十一句) 実篤の『されど仲良き』てふ一語  紀子
(第二十二句) ふと思ひ出す旧友の顔       典子
(第二十三句) 卯の花の垣根をくぐる記憶なし   二宮
(第二十四句) 土用蜆をかつぐ棒手振       游々子
(第二十五句) 商ひを夫唱婦随で五十年      典子
(第二十六句) 月の法善寺横丁を聴き       紀子
(第二十七句) 石畳路地踏む世界家族連れ     二宮
(第二十八句) フィレンチェ郊外めぐる自転車   游々子
(第二十九句) 永遠のミスター偲び十三夜     紀子
(第三十句)  多き名言爽やかに聞く       典子
(第三十一句) 巨星墜つ秋霜白し五丈原      游々子
(第三十二句) 砂紋美し八陣の庭         紀子
(第三十三句) 築石を日々整える禅小僧      二宮
(第三十四句) つぎの世紀は火星にわたる     游々子
(第三十五句) 校舎より弾む歌声花の昼      典
(挙句)    四次元ポケットもて春の夢     紀子

万緑の峡にこだます姐御唄
今回の発句は私の番になっていて、緑濃くなった今、季題を「万緑」にするのがぴったりかと思い、昨年5月に南信州で天竜下りの船に乗った時のことを詠んでみました。船にはあかねの襷を着けた姐さんが、昭和初期の市丸姉さんの「天竜くだれば」を披露してくれました。

三県境に渡る夏風
脇では発句の峡(かい)を三県境にあるものとして付けています。三県境とは三つの県が接している地域のことで、昔流に言えば三国となります。三県境は日本全国に40か所あるそうですが、脇の作者は私が関東に住んでいることより、長瀞峡を想定して下さったのではないかと思っています。長瀞は荒川の一部で、荒川は甲武信岳という三国山を源流としている川なのです。

雲の影静かに尾根を登る見て
峡は左右が山で、頭上の空だけに拡がりがある処です。その尾根には雲の影が登っている、と詠んでいます。

終着駅へ向かふ鈍行
旅は旅でも列車の旅にジャンプしました。終着駅はどこだろうと想像を掻き立てます。

白河を越えてしみ入る秋の月
私はそこは東北ではないかと想像して、奥の細道を思わせる「白河を越え」としてみました。更に、静かさや岩に沁み入る蝉の声 を引いて、中句の措辞に「しみ入る」を使ってみました。

コンと狐の石となるらん
この句は「石」で、芭蕉の山寺の句を継承したと思われます。

新郎の父の挨拶秋の晴
結婚式を詠んだこの句は「狐の嫁入り」から連想したものでしょう。

木の実時雨の寿ぐ音色
木の実時雨(このみしぐれ)は秋の季語で、晩秋に木の実が音を立ててパラパラと落ちる様を、時雨に例えた言葉です。「寿ぐ」で、木の実ですら結婚を祝福していると詠んでいます。

神渡り祈りのごとく湖を行く
恋の座の句ですが、この句は諏訪湖の上社の神が下社に祀られている妻に会うために諏訪湖を渡っていく、という伝説を詠んだ句です。

曲がりくねりしあこがれし歳
そのとき湖上には氷が盛り上がり、曲がりくねった道のようになったものが出来上がります。御神渡り(おみわたり)と呼ばれている現象です。最近は冬場の気温が上昇していて、諏訪湖が全面凍結することが減ってきているとのことです。

山寺を出でて街への九十九折
氷が隆起してできる山脈状の筋を「九十九折」と詠んでいます。

ひとよぎり吹く虚無僧の列
山寺を出てきたのは虚無僧の列としてみました。「ひとよぎり」とは、節が一つだけの尺八のことです。

煩悩を消そうとうつつ月に鐘
尺八より煩悩を連想した句です。鐘が撞かれたときに空には月が浮かんでいた、と詠んでいます。

土鍋おろして小豆粥炊く
「小豆粥」は小正月や大晦日に食べる伝統的な行事で、邪気払いを願う風習です。前句に煩悩と鐘が詠まれているので、作者は大晦日を想定して小豆粥を詠んだものと思われます。

 記紀にある五穀の種の実を結ぶ
日本最古の歴史書「古事記」と「日本書紀」には五穀誕生の物語が書かれています。小豆は女神の鼻から産まれたとされていて、瑞穂の国は米が主食ですが、五穀は米の不作時にそれを補うものとして珍重されてきました。

客僧歩む六根清浄
六根清浄(ろっこんせいじょう)とは仏教用語で、六つの感覚器官や意識を清め、煩悩を断ち切ることで、心身が清らかになることを意味しています。

襟に咲くやまとごころの山ざくら
この句は花の座の句で、上句は軍歌の歩兵の本領の「万朶(ばんだ)の桜か襟の色 花は吉野に嵐ふく」より、中句下句は本居宣長の「敷島の大和心を人とはば 朝日に匂ふ山桜花」より本歌取りして、ふたつを結び付けたものです。直前に蓼科の山桜が満開だったものですから、こんな句を思いつきました。歩兵の本領の歌は、「フォックスと呼ばれた男」という映画で、終戦後もサイパン島でゲリラ戦を続けた日本兵が投降して山を降りるときに、行進しながら歌った歌です。これには替え歌があって、「聞け万国の労働者 轟きわたるメーデーの」という歌は大学時代にデモしたときに歌ったものです。更には童歌にもなっていて、「一かけ二かけ三かけて 四かけて五かけて橋をかけ 橋の欄干手を腰に はるか向こうを眺めれば」というもので、幼稚園の時に祖母より教わった記憶があります。この歌には西南戦争の西郷さんが終わりの部分に出て来ていて、なんとも不思議な歌であると今も思っています。

八十年目の麗らかな海
今年は戦後80年、あの悲惨な戦争は二度と経験したくないものです。

日の本へおかへりなさい初燕
その平和な日本に燕が戻ってきました。「日の本」としたのは本居宣長を意識してのことでしょうか。

ヒヨドリの鳴くことば分からず
鳥語の本を読んでいる作者ならではの句です。

実篤の『されど仲良き』てふ一語
武者小路実篤に「君は君 我は我なり されど仲良き」という名言があります。気持ちよく生きていく上での至言ですね。彼の名言にはこの他に「仲良きことは美しき哉」とか「この道より我を生かす道なし この道を歩く」といったものが有ります。実篤の本は高校の時によく読んだものですが、現代国語の先生からは、今頃こんなものを読むのは遅い と言われたものです。

ふと思ひ出す旧友の顔
こうした名言からは旧友を思い出すものですね。

卯の花の垣根をくぐる記憶なし
幼年時代の回想句でしょうか。

土用蜆をかつぐ棒手振
「卯の花」から夏は来ぬがらみを詠んでは近すぎると思い、蜆を持ってきました。土用蜆で夏の季語になっています。

商ひを夫唱婦随で五十年
前句の棒手振(ぼてふり)は江戸時代の行商人の姿です。「商い」で繫いでいます。恋の座の句なので「夫唱婦随」と詠んでいます。

月の法善寺横丁を聴き
恋の座の続きです。藤島桓夫の歌謡曲が出てきました。

石畳路地踏む世界家族連れ
「石畳路地」は横丁からの連想でしょうか。

フィレンチェ郊外めぐる自転車
石畳と世界よりイタリア旅行したときのフィレンチェに飛んでみました。自転車でアルノ川沿いを走ったのですが、道が石畳で出来ていて、走りにくかった記憶があります。

永遠のミスター偲び十三夜
この連句を進めている最中に、長嶋茂雄の訃報が飛び込んできました。

多き名言爽やかに聞く
追討句が続くことになります。

巨星墜つ秋霜白し五丈原
私は諸葛孔明の五丈原における死に準えて追悼しました。

砂紋美し八陣の庭
八陣の庭とは岸和田城の庭園で、諸葛孔明の「八陣法」をイメージしたものです。石組みは地上からは360度どの角度からも鑑賞することができるようになっているとともに、岸和田城天守閣からは、垂直方向に展開する多様な紋様を眺めることの出来る独創的な造りとなっています。

築石を日々整える禅小僧
石庭を整える禅寺の小僧が詠まれています。

つぎの世紀は火星にわたる
22世紀には火星にわたる小僧も出てくるかという句です。

校舎より弾む歌声花の昼
小学校の光景です。

四次元ポケットもて春の夢
つぎの世紀はドラエモンの世界、そこでは四次元の時空を自在に操作できるようになっているであろうと、ハッピーエンドしています。

連句では時代や場所、物事を幅広く詠んでいくことが必要です。今回の連句はどうだったでしょうか。