俳句的生活(337)-連句(19)-

今、この連句はラインを使用して進めていますが、この方法が、我々の日常生活において如何に時宜を得たものであるかは、対面で連句を行った場合を想像してみれば、一目瞭然です。もし一句を詠むのに、平均して10分かかるとすれば、36吟を巻き終えるのに6時間を必要とします。そして一句ごとに、成程 とか それはちょっと駄目だよ と批評やら鑑賞が混じってくると、相当に疲れてしまい、一泊旅行で温泉に浸かり休憩し、酒でも飲みながらでないとやっていけないものではないかと思ってしまいます。
その点、ラインだと時間に縛られることなく、自分のペースで進めることが出来て、日常の中にちょっとした文芸の気分転換を味わえるのです。今後このスタイルが普及して、ひいては若い人が俳句を始める契機になればと考えています。

連句(19)『緑さす池の巻』
令和7年 5/20(火)〜5/22(木)
連衆   紀子 游々子 二宮 典子

(発句)    緑さす池へ漕ぎ出す和船かな      紀子
(脇句)    玉藻の城の姫様のごと         游々子
(第三句)   一葉に錦鯉群る陽射しにて       二宮
(第四句)   郵便受けに友の絵手紙         典子
(第五句)   月上るシルクロードの果の国      紀子
(第六句)   三輪山隠す雲のありしか        游々子 
(第七句)   秋祭り太鼓の音の遠く聞く       二宮
(第八句)   鉢巻巻いて茹でる新蕎麦        典子
(第九句)   アルバムの君も私もセピア色      紀子
(第十句)   ある日気がつく眼差がある       二宮
(第十一句)  切通し本郷までは江戸の内       游々子
(第十二句)  人の世は坂坂坂ばかり         紀子
(第十三句)  月の影波は木枯らし桂浜        二宮
(第十四句)  千葉道場にエイヤ面胴         游々子
(第十五句)  主なき書斎の明かり記念館       典子
(第十六句)  文字立ち上がる原稿用紙        二宮
(第十七句)  合格の報満開の花の下         紀子
(第十八句)  橿原宮に喜寿のよったり        游々子
(第十九句)  自転車で御朱印巡り山笑ふ       典子
(第二十句)  地図を片手に古都の風切る       二宮
(第二十一句) 画家の夢追つて飛び立つニューヨーク  典子
(第二十二句) いくさ急なり読めや司馬遼       游々子
(第二十三句) 湊川滅びの合戦命じられ        二宮
(第二十四句) 千早城まで夏草を踏み         紀子
(第二十五句) さねかづら手繰り逢坂山を越ゆ     游々子
(第二十六句) 胸に溢るる会ひたき想ひ        典子
(第二十七句) なにわ浦蘆刈人の住いする       二宮  
(第二十八句) 湖族の郷は湖(こ)の辺にして     紀子
(第二十九句) 窓開けて酒酌み交わす月の宴      典子
(第三十句)  迷い込みたる杣の細道         游々子
(第三十一句) 金色の瑞穂の国へ鳥渡る        紀子
(第三十二句) 米騒動の終焉祈り           典子
(第三十三句) 富山には昆布巻きありトロロ巻     二宮
(第三十四句) 海山の幸美味し日本          紀子
(第三十五句) マント着て花の参道歩きゆく      游々子
(挙句)    下駄音響く春の校庭          典子

緑さす池へ漕ぎ出す和船かな

発句は “緑さす” という初夏の季語となっています。この時期、作者はホトトギスの四国大会で高松に行っていて、詠まれている句は回遊式大名庭園である栗林公園の南湖という池を周遊する和船に乗ったときのものです。

玉藻の城の姫様のごと

脇の作者はそのことを知っていて、さぞや殿様気分ならぬ姫様気分であったことでしょう、と詠んでいます。

一葉に錦鯉群る陽射しにて

こうした池には錦鯉が飼われているものです。

郵便受けに友の絵手紙

前句の “一葉” の葉より葉書ー>絵手紙を連想しています。

月上るシルクロードの果の国

高松が続いてきたので、シルクロードへとジャンプしています。

三輪山隠す雲のありしか

シルクロードの果ては奈良ということで、邪馬台国の遺跡であろうと言われている纏向の近くにある三輪山が詠まれました。句は額田王の万葉集にある歌「三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなむ隠さふべしや」を踏んでいます。 

秋祭り太鼓の音の遠く聞く

三輪山には日本最古と謂われている大神神社(おおみわじんじゃ)というのがあり、毎年夏に東京で大神神社主催の古代史セミナが開かれています。本句は神社の祭祀より秋祭りに繋げています。

鉢巻巻いて茹でる新蕎麦

祭より鉢巻の連想です。

アルバムの君も私もセピア色
ある日気がつく眼差がある

この二つの句は恋の座で、発句からここまで江戸時代や古代が続いたので、思い出の写真も古いものになっています。

切通し本郷までは江戸の内

本句は場所を讃岐や畿内から江戸(東京)に切り替えようとしています。

人の世は坂坂坂ばかり

江戸はいくつかの台地に出来た都市で、坂が多いことで知られています。本句はその坂を人の世の坂として詠んでいます。

月の影波は木枯らし桂浜

本句は月の座で、月の名所の桂浜が詠まれています。

千葉道場にエイヤ面胴

桂浜なら坂本龍馬。本句は龍馬が稽古した千葉道場が詠まれています。道場の主は千葉定吉で、有名な千葉周作の弟です。

主なき書斎の明かり記念館

この辺のことは司馬遼太郎の『龍馬がゆく』に詳しく描かれていて、本句は東大阪市にある司馬遼太郎記念館を詠んだものです。

文字立ち上がる原稿用紙

展示されている原稿用紙からは、万年筆で書かれている文字が今にも立ち上がってくるようです。

橿原宮に喜寿のよったり

この連句が行われた直前に、私と二宮さんは、あと二人の学友と吉野へ行っています。全員が喜寿ということで、このまま大過なく歳をとっていきたいものです。

自転車で御朱印巡り山笑ふ

名所旧蹟を巡るのは自転車で、それも電動式のものがあれば楽なものです。

地図を片手に古都の風切る

人任せのツアーでない限り、旅に地図は必須です。

画家の夢追つて飛び立つニューヨーク

ニューヨークまで身軽に飛び立てる人が羨ましい。人を羨んではいけないのですが。

いくさ急なり読めや司馬遼

司馬遼太郎が生きていたら、今のウクライナ戦争に何を言ったでしょうか。

湊川滅びの合戦命じられ

九州で再起した足利軍を迎え撃った楠木正成。彼はまともに正面から立ち向かっては勝ち目がないとして、京都を一度明け渡してゲリラ戦を展開すべきと進言したのですが受け入れられず、死を覚悟してこの戦さに臨みました。

千早城まで夏草を踏み

正成は千早城では北条軍を釘付けにし、それが起因となり、140年続いた鎌倉幕府は滅亡することになりました。この句の作者は千早城まで吟行をしたのでしょうか。

さねかづら手繰り逢坂山を越ゆ

千早城のある金剛山から舞台を、山城(京都)と近江(滋賀)の境にある逢坂山に移しました。この句は恋の座の句で、百人一首の「名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られで来るよしもがな」を踏んでいます。

胸に溢るる会ひたき想ひ

恋の句の七七の部分です。

なにわ浦蘆刈人の住いする

本句は舞台が千早、逢坂山と続いたので、難波(なにわ)へと展開させています。詠まれているのは謡曲「蘆刈」からのもので、難波浦の住人である日下左衛門が、都へ上がって立身した妻と再会する、というあらすじです。

湖族の郷は湖(こ)の辺にして

次に舞台は近江の堅田に移りました。湖族とは琵琶湖周辺の住人のことです。高浜虚子の句に「湖もこの辺にして鳥渡る」というのがあり、これに因んで名付けられた日本酒に「湖の辺にして」というのがあります。このお酒は結社未央の主宰をされている方の実家の酒の銘柄です。虚子のこの句は、堅田浮御堂の沖に湖中句碑として建碑されています。

窓開けて酒酌み交わす月の宴

芭蕉も虚子も、浮御堂が見えるところで、名月を見ながらの句会を催しています。

迷い込みたる杣の細道

一方、名月を山の中で愛でようとすると、それは杣(そま)の小屋がある辺りが似合ってるのではないか、というのがこの句です。杣とは樵(きこり)のこと。

金色の瑞穂の国へ鳥渡る

杣を照らす月が青白いのに対して、米は黄金色の実りをもたらしてくれます。

米騒動の終焉祈り

今年の米騒動は何故起こってしまったのか。

富山には昆布巻きありトロロ巻

大正の米騒動は富山から起こりました。

海山の幸美味し日本

富山もそうですが、日本は総じて海と山の幸に恵まれています。

マント着て花の参道歩きゆく

大正から昭和十年代まで、旧制高校の生徒はマントを羽織り、高下駄をはいて放歌高吟、街を闊歩したものでした。哲学者となった三木清は、下鴨神社の参道を通り、三高に通ったものです。

下駄音響く春の校庭

そんな旧制高校の木製の校舎は下駄音が響き、校庭の春は生気溢れるものであったに違いありません。

今回の連句、各句の繋がりや展開の広さという点で如何だったでしょうか?