俳句的生活(334)-連句(17)-
連句では春夏秋冬の季節、あるいは無季を一定の規則で配置して詠むことになっていますが、テーマとして恋・花・月は特別あつかいされていて、定座(じょうざ)と呼ばれる処で詠むことがルール化されています。
花は桜のことで巻の中で二か所、月は三か所となっている一方、恋は二か所で二句続けて詠むことが規則となっています。本会の式目はある連句の解説本を参考にしているのですが、その解説本ではどういう訳か、恋の二句は短句長句の順になっていました。本会でも前回まではその順にしていたのですが、何となく違和感があり詠みにくかったので、今回より長句短句の順に変更し、通常の恋の和歌を詠めるようにしてみました。平安時代のような恋歌が産まれないかと期待したのですが、さてどうなったことでしょう。
連句(17)『燕の子の巻』
令和7年 4/29(火)〜5/2(金)
連衆 游々子 典子 紀子 二宮
(発句) 見上ぐるや深き軒端の燕の子 游々子
(脇句) 祖父祖母よりの五月人形 典子
(第三句) 廃屋に名草醜草咲き満ちて 紀子
(第四句) 祠への坂対岸遠し 二宮
(第五句) もみじ鮒淡海の月と戯れり 游々子
(第六句) たぬきの里に秋の市たつ 紀子
(第七句) 大花野一両列車の駆くる音 典子
(第八句) 山より来たる赤蜻蛉飛ぶ 二宮
(第九句) 恋多き女祇園を清水へ 游々子
(第十句) 君思ひつつ読むみだれ髪 紀子
(第十一句) 遥なるパリへシベリア鉄道で 典子
(第十二句) 中将となる『舞姫』の作家 游々子
(第十三句) 戦果て坂の上の月冴え冴えと 紀子
(第十四句) 湯豆腐食んで大河ドラマを 典子
(第十五句) 木曽川に山椒魚のニュース見る 二宮
(第十六句) 金の鯱雌雄の一対 紀子
(第十七句) 花に吾を被す吉野の写真売り 游々子
(第十八句) 初虹出づる山間の里 典子
(第十九句) フジの棚児童公園走る子ら 二宮
(第二十句) 源氏の妻の紫の上 紀子
(第二十一句)人の世の捻れ描いて物語り 二宮
(第二十二句)朝一番は新聞柳壇 典子
(第二十三句)母の日は今年も母とホ句の旅 紀子
(第二十四句)椰子の実ひとつ伊良湖の夕焼 游々子
(第二十五句)恋人の聖地を巡りゴールイン 典子
(第二十六句)共に白髪を笑い合う 二宮
(第二十七句)無病息災願ひ住吉詣 紀子
(第二十八句)剃りを忘れた入唐の僧 游々子
(第二十九句)日と月とカルデア人の実り知る 二宮
(第三十句) 秋灯のもと星占ひして 典子
(第三十一句)甘樫へ登る柿の木坂の道 游々子
(第三十二句)物部蘇我の争いの跡 二宮
(第三十三句)式目に添ひ十七度目の連句 紀子
(第三十四句)閑居楽しむ方丈の茅屋 游々子
(第三十五句)姿見の中に綸子の花衣 典子
(挙句) 在原寺の筒井筒能 二宮
見上ぐるや深き軒端の燕の子
今回の連句では発句が私に廻って来ました。夏の式目となっているので、なるたけ初夏の季節感の強い句を発句に据えてみました。中句の “深き軒端” は江戸時代の豪農の分厚い茅葺の家の軒下に造られた燕の巣を意図したものです。
祖父祖母よりの五月人形
脇句は五月人形で、初夏の季節感を深め、更に “祖父祖母よりの” で、その家が時代性を備えた旧家であることを示俊しています。
廃屋に名草醜草咲き満ちて
第三句は発句の茅葺から “廃屋” へとイメージをずらせています。”醜草” は「しこぐさ」と読みます。名草醜草で綺麗な花そうでない花となり、発句が軒を見上げたのに対して、ここでは視線を地面に落としています。
祠への坂対岸遠し
第四句の “祠” は廃屋を具現化したものです。
もみじ鮒淡海の月と戯れり
第五句からは「秋」を詠む式目となっています。春と秋は3句以上5句までを連続して詠む決まりになっていて、本連句では第五句から第八句までの4句が秋の句となっています。
第五句では「秋の月」を詠むことになっていて、琵琶湖の水面を跳ねる鮒を “月と戯むる” という措辞で表現しました。鮒だけでは季語になっていないので、”もみじ鮒” として秋の季語にしました。
たぬきの里に秋の市たつ
たぬきの里とは、信楽焼のタヌキで名高い滋賀県甲賀市を指しています。朝市ではタヌキの置物が並べられているでしょうか。
大花野一両列車の駆くる音
花野をいく一輛電車、絵になります。
山より来たる赤蜻蛉飛ぶ
その花野には山から来た赤蜻蛉が飛んでいます。
恋多き女祇園を清水へ
恋の座が二つ続き、本句は与謝野晶子の短歌「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」を本歌取りしています。
君思ひつつ読むみだれ髪
前句の歌は『みだれ髪』に収録されているものです。
遥なるパリへシベリア鉄道で
本句は、創作意欲を刺激するために単身でパリに行った与謝野鉄幹を追ってシベリア鉄道でパリに向かった晶子を詠んだ句です。
中将となる『舞姫』の作家
それならばベルリンを経由したであろうと、森鴎外がベルリンに留学したことを付け、『舞姫』で恋の句を続けてみました。
戦果て坂の上の月冴え冴えと
鴎外は陸軍の軍医で最高位の軍医総監にまで昇りつめて、階級は陸軍中将です。彼は日露戦争に従軍し、明治37年の夏を満州で過ごしています。満州の夏は蒸し暑く、彼は手ぬぐいを冷水に浸し、それで身体を拭いて夏を乗り切っています。
湯豆腐食んで大河ドラマを
NHKの大河ドラマと司馬遼太郎つながりで、長州の村田蔵六が主人公であった『花神』を引き合いに出しました。蔵六は湯豆腐が好きで、主演した中村梅之助が毎回おいしそうに食べていたのが記憶に残っています。
木曽川に山椒魚のニュース見る
木曽川というと鮎ですが、山椒魚が出たということでニュースになったのでしょう。
金の鯱雌雄の一対
木曽川から名古屋への転移です。
花に吾を被す吉野の写真売り
次は四月初めに行った吉野への転移です。ここでは往来に、満開の桜の映像の上に被写体を重ねる写真売りがいて、ついつい買ってしまいました。
初虹出づる山間の里
吉野は南朝の根拠地であり、まさに山間の里です。
フジの棚児童公園走る子ら
季節は桜からフジに移りました。
源氏の妻の紫の上
藤棚から光源氏が愛した藤壺を連想。正妻となった紫の上は藤壺の姪にあたります。
人の世の捻れ描いて物語り
源氏物語は人の世の捩れを描いたものかも知れません。
朝一番は新聞柳壇
新聞投句していると、朝一番に開くのは俳壇のページです。入選していると、その日は天国にいる気分になります。
母の日は今年も母とホ句の旅
作者は母子ともに俳句にいそしんでいます。
椰子の実ひとつ伊良湖の夕焼
旅の一つとして、愛知県の伊良湖岬を持ってきました。岬の先端には白い灯台が聳え、島崎藤村の「椰子の実」の歌碑が作られています。藤村は柳田国男から椰子の実が遠く海を渡って流れ着いている話を聞き、この詩を作ったそうです。
恋人の聖地を巡りゴールイン
伊良湖岬には恋人の聖地と謂われている「恋路ヶ浜」という1kmにわたる美しい砂浜があります。
共に白髪を笑い合う
ゴールインしてから、うん十年が経ちました。
無病息災願ひ住吉詣
歳をとってからの最大の関心事は健康であること。身体だけでなく、心も健康でいたいものです。
剃りを忘れた入唐の僧
歳を重ねると忘れっぽくなるものです。遣唐使船で唐へわたる僧侶が剃刀を忘れると困ったことになりますね。
日と月とカルデア人の実り知る
カルデア人とは古代メソポタミア、特にバビロニア南部のカルデア地方に住んでいた人々です。占星術に長けていたと言われています。四大文明の一つに場所を移しました。
秋灯のもと星占ひして
星占いは秋灯のもとでするのが風情あります。
甘樫へ登る柿の木坂の道
四月の初めの吉野旅行で泊まった処は、明日香のど真ん中にある民宿で、夕方に甘樫の丘に登ったものでした。
物部蘇我の争いの跡
登り口までには推古天皇の豊浦宮(とゆらのみや)遺跡がありました。
式目に添ひ十七度目の連句
式目十訓なるものを作っての連句です。
閑居楽しむ方丈の茅屋
連句は茅屋(ぼうおく)ででも楽しめます。
姿見の中に綸子の花衣
綸子(りんず)は経糸(たていと)と緯糸(よこいと)の両方に撚り(より)のない糸を使用して織られた光沢のある絹織物です。連句が横に広がっていく文芸であることを暗喩しています。
在原寺の筒井筒能
挙句は謡曲「井筒」の世界が詠まれました。「筒井筒 井筒にかけし まろが丈 過ぎにけらしな 妹見ざるまに」の少年と少女が結ばれたのち、男が浮気して危うくなりますが、最後はハッピーエンドとなる物語です。
今回の連句、句の前後の関連性や横への展開など、如何だったでしょうか。