俳句的生活(333)-茅ヶ崎の俳人(4)鶴田栄太郎ー
本ブログでは既に何度も紹介してきましたが、円蔵の鶴田栄太郎、この人抜きには明治~昭和の茅ケ崎の俳句・郷土史を語ることは出来ません。
最近彼の遺した『街道の文芸』という随筆のシリーズに、面白い記事を二つほど見つけたので、本稿ではそれを紹介することにします。
最初の一つは小澤白羊の系図です。

『街道の文芸 その四』より
白羊が茅ケ崎赤羽根村の名主である小澤市左エ門に、戸塚宿の中出氏から嫁いだことは、茅ケ崎の俳人(1)で記しましたが、この系図からは、白羊の三人の子供のうち、歌人の一貞(村野ともこ)の兄の飯屙の末裔に市太郎さんという人がいることが判ります。この市太郎氏と栄太郎は懇意にしていて、近代の小澤家の様子は栄太郎によって記録されています。
もう一つの記事は、茅ケ崎香川にある浄心寺というお寺の七面堂に残されていた句額の中に、彼の父親の久吉さん(俳号は一宝)の句を見つけたとするものです。
音のしてかすかに海の時雨れけり 一宝
という句です。甲申の歳、明治17年のものです。当時は月並句合の他に、神社仏閣に額を奉納することがよく行われていたようで、現在でも住吉大社や靖国神社のような大きな神社ではその風習が継続されています。
この額を見た時の栄太郎の感激は相当のもので、つぎのような歌を詠んでいます。
「音のしてかすかに海の時雨れけり」ここの古額に父と会ひぬる あしかび
“あしかび” とは栄太郎の俳号です。栄太郎は俳句だけでなく短歌も多く詠んでいます。そして栄太郎の妻である桃世も次のような句を詠んでいます。
句額蔵す堂奥風の春障子 桃世
この句額を見たく、浄心寺に電話を入れて希望を伝えたのですが、奥の方に仕舞っていて取り出すのが難しいとのお答えでした。将来、博物館の方で奉納句額の特別展でも企画できないものかと、期待しているところです。
私はといえば、今年の始めに大阪の今宮戎神社に奉納句を投句したところ、運よく佳作で入選しました。
賑はいの渦に戯れ初戎 游々子
ものは試しに何でもやってみることだと思いました。