俳句的生活(323)-連句(11)-
令和7年も、はや2か月が経ち、この間に6回の連句を実施しました。10日に一度のペースです。
連句(9)より巻に名前を付けるようにしましたが、巻の名の付け方を調べてみると、最も一般的なのは発句において印象的な言葉を付けるのが多いようです。勿論、旅行先で仲間と歌仙を巻いたような場合には、その土地の名前を付けるのもあります。例えば『吉野山の巻』といったような具合です。発句から採る場合は、それは季語であってもそうでない語句を選んでも良く、連句(7)では季語から「春灯の巻」、連句(10)では季語ではなく「人力車の巻」、そして今回も季語からではなく「神事の巻」とすることにしました。
神事とは、この句では摂津の住吉大社で行われている松苗神事を指しています。この神事では俳句の献詠が行われていて、連衆は全員これに参加していましたので、共有する背景であったのです。

連句(11)『神事の巻』
令和7年2月 23 日(日)〜25 日(火)
連衆 紀子 游々子 二宮 典子
(発句) 一筋の神事の馬場の草萌ゆる 紀子
(脇句) 相生となる高砂の松 游々子
(第三句) 播磨灘いかなご便り僅かにて 二宮
(第四句) 伯父より届く自家製野菜 典子
(第五句) 歌を詠み句を詠む暮し月祀る 紀子
(第六句) 井筒に映る形見の直衣(のほし) 游々子
(第七句) 龍田川楓舞い落つ音もなく 二宮
(第八句) 夕べの続きの『みだれ髪』読む 典子
(第九句) 君と歩す業平橋を相傘で 紀子
(第十句) 行く手に光るにわたずみあり 二宮
(第十一句) 讃州に蕪村の寺とうたわれて 游々子
(第十ニ句) 吟行の旅東へ西へ 典子
(第十三句) 猪牙舟を返し一服土手の月 游々子
(第十四句) 柳川風汗少し引く 二宮
(第十五句) 砂の飛ぶぶつかり稽古見学す 典子
(第十六句) 手に愛読の武蔵小次郎 紀子
(第十七句) 花ふぶき舞う新橋の演舞場 游々子
(第十八句) 房総の海そこ舞うか桜鯛 二宮
(第十九句) 紀州より伝わる醤油春の潮 典子
(第二十句) 葵新吾は鯖江の生まれ 游々子
(第二十一句) 美しき和紙に書かれし物語 紀子
(第二十二句) 遠き都に心もゆきて 典子
(第二十三句) 露はヤルタ望むが冬の天位我 游々子
(第二十四句) クリミアの地に天使還らず 紀子
(第二十五句) 暁の氏神様を参拝す 典子
(第二十六句) 二人して神頼み笑顔する 二宮
(第二十七句) 加茂まつり牛車の君のさゝめごと 游々子
(第二十八句) 糺の森を馬駆け抜くる 紀子
(第二十九句) 東山麓の宿の窓の月 典子
(第三十句) 星のかけらに並ぶ行列 游々子
(第三十一句) 名城の金の鯱天高し 紀子
(第三十二句) 天高く青流れ雲行く 二宮
(第三十三句) 八景をブログに記す日々のあり 游々子
(第三十四句) 肩肘ついて地球儀回し 紀子
(第三十五句) 山桜吉野の坂の静かなる 二宮
(挙句) 花びらひらく桜湯旨し 典子
発句の神事から少しずつスライドしてゆき、第九句では業平に行き付きました。以下もいくつかの句のブロックは関連性を持って進み、ところどころで意識的に関連性を切って新しい場面に展開しています。連句ではこのように関連性を持たせるところと、それを切って新たに展開していくことのミックスが醍醐味であるといえるのでしょう。