俳句的生活(322)-連句(10)-
歌仙は巻いた人数、すなわち連衆の数に吟を付けて呼ぶことがあります。2人で巻いた時は両吟歌仙、3人で巻いた時は三吟歌仙、といった具合です。以前は2人や3人で行うことは珍しくなく、明治31年には子規と虚子が2人だけで、明治37年には虚子、漱石、四方太が三人で歌仙を巻いています。現在の我々の連句は4人で行っているので、四吟歌仙ということになります。実感としては4,5人というのが多過ぎも少な過ぎもなく、丁度良く廻る数ではないかと思っています。
連句(10)『人力車の巻』
令和7年2/17(月)〜2/18(火)
連衆 典子 二宮 游々子 紀子
(発句) 春風や坂道駆ける人力車 典子
(脇句) 賑わいに沿う梅花の匂い 二宮
(第三句) 菜の花や弟橘媛(おとたちばな)の櫛を見て 游々子
(第四句) 又頁繰る坂の上の雲 紀子
(第五句) 静けさに覆はれし里十三夜 典子
(第六句) 丹沢紅葉奥まだ深し 二宮
(第七句) 業平の袖を濡らせる朝の露 游々子
(第八句) 君を思うて書く一行詩 紀子
(第九句) 待ち伏せてみても渡せぬチョコレート 典子
(第十句) 弓場に並ぶ振り袖姿 游々子
(第十一句) 百万遍の寺門入らず京を出る 二宮
(第十二句) 伊予にマドンナはいからさん 典子
(第十三句) 桂浜波を聞きつつ夏の月 二宮
(第十四句) 帆船は行く青葉潮越え 游々子
(第十五句) 大いなるロマン秘めたる水の星 紀子
(第十六句) 予約取りたしオーロラツアー 典子
(第十七句) 阿波吉野川奥山の桜橋 二宮
(第十八句) 椿を材の島の職人 游々子
(第十九句) 黒髪のやまとなでしこ雛人形 紀子
(第二十句) 博多人形立ち肌白し 二宮
(第二十一句)落語家の腰に角帯貝の口 典子
(第二十二句)繁昌亭の夜も満席 紀子
(第二十三句)王将といへば三吉小春空 游々子
(第二十四句)内助の功のつはぶきの花 典子
(第二十五句)路地小路地図を片手に善哉屋 紀子
(第二十六句)週ごと替わるマドンナの役 游々子
(第二十七句)うらなりに実るはずなき片思い 二宮
(第二十八句)温泉街の足湯を巡る 典子
(第二十九句)子規偲ぶ十七日の月明り 紀子
(第三十句) 芒の原にさまよう小風 二宮
(第三十一句)飛鳥路の丘より見上ぐ秋の空 典子
(第三十二句)乙巳の今年騒ぐ松ヶ枝 游々子
(第三十三句)サピエンス行く先不明空の雲 二宮
(第三十四句)守り袋に夢の字ありて 典子
(第三十五句)城また城花の陸奥にぎはひて 游々子
(挙句) 列車船乗り継ぎ旅二日 紀子
付かず離れずに先へ先へと展開していく呼吸も、大分身についてきたのではないかと自負しています。第7句から17句までは、京都や四国の香りが漂う句となっていて、個人的にも懐かしい限りです。俳句と連句の長句との違いは、俳句はそれだけで完結していて、作るときには格調高く芸術的なものにすることを意識しますが、連句ではカジュアルに前後の句と掛け合い的に作っていくことになります。型式は似通っていますが、内容的には相当異なった文芸であると言えるのではないでしょうか。