俳句的生活(312)-連句(5)-
第五回目となる連句を行いました。第一回が11月2日でしたから、2か月足らずで5回も行うことが出来ました。今回の新しい試みは、恋の句を2か所に入れることでした。このように少しずつ式目を増やしていっています。
連句の会(5) 月日 :令和6年12月21日(土)~24日(火)
連衆: 游々子、紀子、典子、二宮
(発句) 時雨るるや四百年の一里塚 游々子
(脇) 紀州街道木の葉舞い散る 紀子
(第三句) 和歌浦に万葉びとの歌数多 典子
(第四句) 紀ノ川辿り吉野の山に 二宮
(第五句) 白骨の湯の香に揺るる後の月 游々子
(第六句) 酒酌み交はし俳句談義を 紀子
(第七句) 捨てられぬ恋文ひらく秋灯下 典子
(第八句) かの人のいるフランス田舎 二宮
(第九句) 七歳と喜寿の連弾山の小舎 游々子
(第十句) 家族写真の並ぶリビング 典子
(第十一句) グッズ買ひカウントダウンクリスマス 紀子
(第十二句) なじみの店のカウンターに薔薇 二宮
(第十三句) 乾杯のビルの屋上夏の月 紀子
(第十四句) 歌声響くキャンプの一夜 典子
(第十五句) 湧水に鯉を飼いたる山家あり 二宮
(第十六句) 画工の登る草枕の路 游々子
(第十七句) 満席の金の御座船花の城 紀子
(第十八句) 京の御土居に山吹の咲く 典子
(第十九句) アーケード今年も燕巣を補修 二宮
(第二十句) 開店の日の店頭の列 紀子
(第二十一句) 生きていれば百と二歳か開聞岳(かいもん)の空 游々子
(第二十二句) 知覧坊津薩摩のみ空 二宮
(第二十三句) 駅伝を走る選手の息白し 典子
(第二十四句) これより山の神のお出まし 游々子
(第二十五句) 椿ある祠に遊ぶ子供たち 二宮
(第二十六句) 赤い頭巾のお地蔵様よ 典子
(第二十七句) 高階へ君とホワイトクリスマス 紀子
(第二十八句) 七宝焼の静の苧環 游々子
(第二十九句) 北面の西行見たる萩と月 二宮
(第三十句) 忌日近づく最澄の山 紀子
(第三十一句) 秋天や露兵の墓地に流る経 游々子
(第三十二句) 曇り空なる倫敦の街 典子
(第三十三句) 鼻の僧手水の水を疎ましく 游々子
(第三十四句) 春愁を解く映画ディズニー 紀子
(第三十五句) 日の差して疎水べりにも初桜 典子
(挙句) 京を夢見し錦林の車庫 二宮
連句で難しいのは、前句や前々句に付け過ぎず離れ過ぎずに、前へ前へと展開していくことなのですが、今回の巻きでのハイライトは、第二十九句から三十三句にかけての繋がりです。先ず29の北面の西行で京都が出てきます。30ではそれを引き継ぎ、最澄の山で比叡山、しかもそこでの忌日、これは比叡山を愛した虚子の十月十四日に行われている西の虚子忌のこと。31は日露戦争のときの松山の捕虜収容所、多少マニアックですが、この時の戦争では捕虜の扱いも日本は、武士道精神に則ってやっているのです。32は松山で中学教師をした漱石の英国留学、漱石の留学を示すためにロンドンは漢字表記されています。しかも曇り空を出すことで、神経が侵されていた漱石を浮き立たせています。33は松山から離れるために、漱石の高弟であった芥川に飛ばしています。16で草枕が詠まれていますから、これ以上松山や漱石がらみの句はしつこくなってくるのです。
次回は年が明けて、新年を発句とする歌仙を巻いていくことになっています。ここでも式目をまた少し増やしてみようと思っています。