添削(63)-あすなろ会(19)令和6年9月ー

怜さん

原句 菊の酒献杯として同窓会

菊の酒

菊の酒とは陰暦9月9日に食用の菊を盃に浮かべて長寿を願おうとする儀式です。本句はたまたま9月9日に同窓会があり、例年参加していた友人がこの一年で物故となり、先ずはその友に献杯しようという状況を詠んだ句です。原句は上句と中句の繋がりが悪いので、助詞「を」を上句につけて滑らかにしました(参考例1)。また、菊の酒の “酒” と献杯の “盃” のイメージが重複していますので、献杯を使わない句を参考例2としました。参考例1と2の大きな違いは、1では菊酒が献杯の目的語になっていて、季語の使い方がやや説明的になっているのに対して、2では “や” で切っていることによって、広がりを生んでいる点です。俳句としては2の方が優れているでしょう。

参考例1 菊酒を献杯として同窓会
参考例2 菊酒や一人欠けたる同窓会

原句 鰯雲魚籠に浮かべて釣果とす 

空っぽの魚籠(びく)に映った鰯雲を釣果にするということですが、内容として無理があります。せいぜい「釣果なき魚籠に映れる鰯雲」とするのが妥当なところでしょう。しかしこれでは詩情というものがありません。余情を出そうとすれば、”空にはあんなに鰯雲が浮かんでいるのに今日は釣果がなかったなあ” というような内容にすべきです。

参考例 釣果なく帰る野道や鰯雲

原句 栗の木を残して村のまわり道

この句は面白い。色んな解釈が出来ると思いますが、道が直線になっていればもっと短い距離になるのだが、そこには大きな栗の木が植わっていて、道は迂回して作られている、というものです。栗という季題に対して面白い視点で詠んだ秀逸句です。直しは要りません。

弘介さん

原句 秋出水噴き出す都会マンホール

都会では排水能力を超えて雨が集中的に降ると、マンホールから水が噴き出すことが起こります。本句はそれを秋出水と詠んだのですが、先ず三段切れになっているのが問題です。それを解消する必要があるのと、マンホールから水が噴き出すのは都会でのことに定まっていますから、”都会” はなくて良いでしょう。

参考例 噴き出だす秋の出水やマンホール

原句 毬(いが)はじけ顔出すひかり栗三つ

本句は上句と中句が時間に沿った順序関係になってをり、そのために句が説明的になっています。語順を替えてそれを解消します(参考例1)。ただ、それだけでは単に事実を述べているだけであり、ハッとさせるものがありません。栗の光は毬がはじける前から毬の中にあったとして詠むほうが、詩情が出るでしょう(参考例2)。

参考例1 顔を出す栗のひかりや毬はじけ
参考例2 毬のなか栗は光を育てをり
 

原句 菊人形大杯両手に庄助さん

庄助さん

庄助さんの菊人形が大杯で酒を飲んでいるという句ですが、菊人形は季題の「菊の酒」とは別の季語なので、兼題の「菊の酒」を句に入れなくてはいけません。参考例は季語「菊人形」を残したまま「菊酒」を入れましたが、こうした季重なりは問題ではありません。あえて理屈をいえば、この参考例では、「菊酒」が主季語で「菊人形」が従季語となっています。

参考例 菊酒や庄助さんの菊人形

蒼草さん

原句 かなかなの余韻しみ入る夜明け前

蜩

本句の肝は中句の “余韻しみ入る” にあり、かなかなの鳴き終わった直後の “余韻” が夜明け前の闇に沁み込んだ、という叙述にあります。そうした時、”夜明け前” を “しみ入る” と切り離して下五に置くより、しみ入る処が夜明け前の闇であるとする明示的表現の方が良いでしょう。夜明け前のことを「払暁」とも言いますので、それを使い一音を浮かすことにします。

参考例1 払暁に余韻沁み入るかなかなの
参考例2 払暁に沁み入るかなかなの余韻

原句 邯鄲の夢とて酌めよ菊の酒

「邯鄲の夢」とは、中国の故事「邯鄲の枕」からきており、人生の儚さや一時的な夢を指しています。本句はこの夢に「菊の酒」という秋の季語を結び付けて、人生の一瞬を味わいながら酌み交わそうと詠んだもので、「邯鄲の夢」の幻想的で儚いイメージと、「菊の酒」という具体的な情景を美しく対比した秀句です。

中句で使われている “とて” は「として」あるいは「と思って」という意味で、句意は、「邯鄲の夢だと思ってさあ酌み交わそう今宵この菊の酒を」となります。内容の濃い充実した秀逸句で、直しは当然要りません。

原句 無花果を姉ともぎし日遥かなり

季題「無花果」からは懐旧の類想句が数多く作られています。本句もその一つで、当たり前の内容にならないよう要注意です。姉ともいだのは昔のことであるのは自明ですから、下五の “遥かなり” は不要です。

参考例 姉ともぎし無花果の実の柔らかき

遥香さん

原句 無花果を照らす夕日や生家跡

無花果

今はあまり見かけない風景ですが、昔は無花果の木はどこにでもあったものです。本句は、作者の生家跡には今も無花果が植わっていてそれが夕日に照らされているよ、と詠んだ句です。これも懐旧句で、措辞が平凡にならないよう工夫が必要です。参考例では、夕日に照らされて出来る何年分もの影が生家跡には積もっているよ、としてみました。

参考例 無花果の影のつもれる生家跡

原句 蜩や恙(つつが)なしてふ母の文

「てふ」は「ちょう」と読み、「~という」という意味です。母の手紙にはいつも、自分は元気だから心配しなくていいよ、と書かれていると詠んだ句です。そつのない美しい表現ですが、俳句としてはインパクトに欠ける憾みがあります。母の文を叙述する措辞にしてはどうでしょうか。

参考例1 蜩やひらがなだけの母の文
参考例2 蜩や同じ書き出し母の文

原句 街中を茶色一刷毛秋出水

今年の秋の大雨では川が氾濫し床上浸水した所が多くありました。茶色の濁流が一刷毛したように一瞬で街中を襲った、という句です。中句の “茶色一刷毛” の措辞は、やや詰まった感じがするのと、濁流を一刷毛と表現したのは秀逸ですが、茶色であるのは当たり前なのでそれは省略した方が良いと思います。

参考例 朝市の通り一刷毛秋出水

游々子

供華となす花も今宵は菊の酒
蕎麦の花田毎に白く後の月
涼風に薄暮の光流さるる