俳句的生活(296)ー芭蕉の詠んだ京・近江(20)最後の旅立ち(5)奈良-
菊の香や奈良には古き仏達 (元禄七年九月九日)
京都嵯峨の落柿舎に6月15日まで滞在した芭蕉は、近江そして故郷の伊賀上野を経て9月8日朝、奈良に立ち寄り大阪に向かいます。大阪に出向こうとしたのは門弟間のいざこざを仲裁するためでした。冒頭の句はその折に奈良で詠まれたものです。
当時、伊賀上野から大阪へ向かうのは、木津川と淀川の水運を利用するのが最も快適なルートでした。この時の芭蕉は、笠置で木津川の船に乗り、二里ほど下って加茂で下船し、奈良街道を奈良へと向かっています。木津川は京都と大阪の境である淀で宇治川と桂川と合流して淀川となる川であり、伊賀上野から京や大阪へ行くにはそれほど難儀しなかったのです。
笠置には笠置山という後醍醐天皇が鎌倉幕府討幕で立て籠った山があります。南朝一辺倒であった戦前には「笠置」と名の付く巡洋艦が建造され、空母でも建造されつつありました。
奈良街道から奈良に入った芭蕉一行は9月8日は猿沢の池付近で宿泊しています。翌9月9日は重陽の節句、冒頭の句はこの日に詠んだもので、古都奈良にも菊の香が漂っているとしたものです。この句からはどこか特定の寺院に詣でたというニュアンスは感じられず、過去に訪れた寺院の仏達を思い浮かべて詠んだものと思われます。大阪には9月9日の内に到着しています。
菊の香や山でいただく菊の酒 游々子