俳句的生活(295)-芭蕉の詠んだ京・近江(19)最後の旅立ち(4)蓮台野ー

瓜の皮剥いたところや蓮台野  (元禄七年六月上旬)

この句も芭蕉の落柿舎滞在中の俳事でのものです。この時期の句には瓜を詠んだものが多く、朝露や撫でて涼しき瓜の土 という句もあります。

冒頭の句の前書きには、「人々集ひ居て、瓜の名所(などころ)なん数多(あまた)言ひ出でたる中に」と記されていて、句座の連衆が、どこの瓜が一番だとワイワイやってる中で、今食べようとしている処は蓮台野、だと詠んだ句です。この当時、蓮台野は大根の産地ではありましたが、瓜ではなかったために、芭蕉はこのような句を詠んだのです。

蓮台寺絵図
蓮台寺(都名所図会)

蓮台野は、現在の千本通りと北山通りとが交差する辺りで野原だった処です。吉川英治の小説の『宮本武蔵』では、武蔵と吉岡清十郎との決闘で、武蔵が一撃のもとで清十郎を倒し、走り去って辿り着いたのが蓮台野となっています。武蔵はそこで本阿弥光悦と邂逅し、多くの事を学んだという筋書きです。光悦は後に(大阪夏の陣の後)家康から鷹ヶ峯に広大な土地を与えられ、独自の芸術村を創るのですが、この決闘があった時期(1604年)には、油小路今出川に邸宅があり、割と蓮台野には近い処に住んでいたのでした。

芭蕉が蓮台野で瓜の皮を剥いたのは、武蔵の決闘から90年経っていて、このような決闘があったことは芭蕉は露知らず、ということだったでしょう。吉岡一門の武蔵との決闘は三度に及び、吉岡は完膚なきまでに打ち叩かれています(吉川英治の小説が事実だったとしてですが)。吉岡家はその後、染物屋に転業して現在にまで家系が繋がっています。私は偶然にも、吉岡幸雄さんという吉岡家に繋がる染色家の方が先斗町の「ますだ」の馴染み客であったことから、女将よりそのことを伺って知ることとなりました。

ますだ(先斗町)
ますだ(先斗町)