俳句的生活(27)-姥島の帰帆ー

帰帆は「きはん」とよんで、帰路につく帆掛け船のことである。姥島は良好な漁場であったから、この帆掛け船は、漁をする船であろうか。近江八景の帰帆は、矢橋の帰帆といって、東海道を京に向かう旅人を、草津から大津まで運ぶ用途のものであった。相模川の帆掛け船は、物資の運搬用であり、河口では400石船が待っていたものである。

姥島の帆掛け船の写真がないものかと、図書館のデジタルライブラリを探してみたのだが、あるのは馬入の帰帆だけであった。絵葉書の絵であるが、帆掛け船が描かれていないので、本当に海で帆掛け船が使われていたのか、多少疑問なところである。相模川の場合は、当時は上流のダムも寒川の取水堰もなく、水量は豊富で厚木や相模原あたりまでの遡行が可能だったのだ。汽水域は神川橋にとどまらず、もっと上流まであがり、満ち潮の時は、遡上する波と風で帆掛け船は容易に川上を目指せたのである。

帆掛け船の形状であるが、馬入の帰帆の写真に見られるように、帆は一枚の布ではなく、短冊のように細長い布を複数枚使って帆を張っている。近年、相模原市でこの帆掛け船を復元し、相模川で航行させている。素晴らしい試みである。

今回で茅ヶ崎八景の稿は終了するので、一応簡単に総括的なことを述べてみたい。一つは宣伝的なことである。近江八景では、大津市の観光協会が紹介の動画を作成して、ユーチューブに載せている。静止画より動画の方が、圧倒的に訴求力が高いので、茅ヶ崎市でも採用すべきではないだろうか。もう一つは八景を、現在の生活のなかに実際に復元していくことである。例えば、鶴嶺の晩鐘であれば、夕方の夕焼け小焼けのチャイムではなく、神社の鐘を撞いてみる。高砂の明月であれば、旧暦八月十五日に高砂緑地の園内で観月会を催す。柳島の落雁であれば、馬入の渡しを復活し、帆掛け船も復元運航する。(道の駅などは不要)。姥島の帰帆であれば、復元した帆掛け船の係留地を作る、などなどである。人口が減少していく今こそ、100年かけて、明治の景観を取り戻すことを始めるべきであろう。

遠泳の中学生や烏帽子岩

茅ヶ崎八景―姥島ー
馬入の帰帆
茅ヶ崎市立図書館郷土資料デジタルライブラリーより引用
(茅ヶ崎名所)馬入ノ帰帆