俳句的生活(229)-虚子の詠んだ京都(7)落柿舎ー

京都市中から嵐山・嵯峨野を見物するときに利用する交通機関は、通常はJRではなく京福嵐山線が大半であろうと思います。終点駅が嵐山により近いからです。電車を降りたあと渡月橋で嵐山を臨み、次に向かうところは天龍寺。そのあと源氏物語に興味ある人は野宮神社に寄り、竹林の小径を抜けて最初に目にするのは、落柿舎の遠景です。

落柿舎遠景

俳句に関心のある人は中に入りますが、そうでない人は外観を見るだけで素通りしていきます。近づいてみると、庵の名前に違わず、柿の木が植わっています。

落柿舎の柿

明治37年11月、虚子は10月に敢行した ”四夜の月” のあと、嵯峨野にも足を伸ばし落柿舎を訪れています。このときの印象をもとに、明治41年8月、東京麹町の虚子庵の隣の寒菊堂で行われた句会において、席題「墓参」に対して、虚子は次のような、上句が13音であるような何とも破天荒な句を詠んでいます。

凡そ天下に去来ほどの小さき墓に参りけり

真ん中の烏帽子のような形をした40cmの石に、ただ ”去来” とだけ刻まれている塚です。余りに小さかったことで虚子の心は真逆に動き、”凡そ天下に” と大層な措辞を上句に添えたのでしょう。この句の虚子の自筆による碑も落柿舎には置かれています。

この小さな塚が去来の墓かと思いきや、本当の墓は虚子が ”四夜の月” を始めた場所である黒谷の真如堂に作られていました。真如堂には向井家の墓地があり、去来は最初そこに埋葬されたのです。そして、70年後に親族が落柿舎を再建したとき、真如堂の墓から遺髪が移され、嵯峨野落柿舎の小さな塚となったのです。その後、向井家の墓域では墓石を整理したことがあったようで、現在は去来の墓は残っていません。

現在、落柿舎にはもともとの建物とは別に、句会を開くためのものとして、”次庵” というものが作られています。日本三大俳句道場のひとつで、最も知名度が高いものでしょう。

私が所属している ”京大俳句会” ではこの次庵で何度も句会を開いています。下の写真は10年前に行われた句会の様子です。

京大俳句会

コロナ禍で長らく対面句会が中断していますが、再開に当たってはこの落柿舎でと、今準備を進めているところです。去来忌は旧暦9月10日、これには間に合わずとも、何とか11月中にはと思っています。京都嵯峨野での紅葉が最も美しい時期に。

去来忌や小さきスマホの奥深く  游々子