俳句的生活(228)-虚子の詠んだ京都(6)平安京ー

京都で桜をめでる最も風情ある方法の一つは、蹴上で琵琶湖疎水を運航する十石舟に乗り、岡崎の川辺に伸びた桜の枝の下を、ガイド嬢の説明を聴きながら巡っていくことでしょう。東京の隅田川の船からの桜見物とは違ってここでは、桜の枝が手に触れんばかりのところにまで、近寄ってきているのです。

琵琶湖疎水の十石舟

そして十石舟は平安神宮の大鳥居の前を進んでいきます。

十石舟からの平安神宮

この平安神宮こそ、虚子が三高に居た時分に平安遷都1100年を祝う目玉事業として企画され、明治28年(1895年)に、京都振興のために催された内国勧業博覧会に先駆けて、桓武天皇を祀る神社として創祀されたものでした。明治28年、虚子は4月から7月にかけて京阪に来ていますので、
日本初の電車に乗ったり、岡崎で勧業博覧会や平安神宮に行ったりしたと思われますが、遷都について詠まれた虚子の句は次のものとなっています。

春山を相して京に都せりと  虚子(昭和31年)

中句の “相して” とは、長岡京から山城のこの地に移るとき、風水の方位や地相という ”四神相応の地” かどうかを朝廷が検討したことを指しています。作句は昭和31年という最晩年ですが、明治28年での経験が忘れがたいものであったのでしょう。

船頭の唄遮るや春の虹  游々子