俳句的生活(227)-虚子の詠んだ京都(5)祇園会ー

NHK・BS3の京都を扱った番組に ”京都人の密かな楽しみ” というドラマがありました。基本的に5人の若者の青春群像を追ったドラマでしたが、このなかで祇園会を詳細にドキュメント化したものがあり、京都人ですら初めて知るようなことが盛り込まれた番組でした。まして京都人でない私には、7月いっぱいの祇園会に先立って、山鉾を持つ町内ごとに新稚児のコンチキチンの鉦たたきの練習がされていることなど、知る由もありませんでした。

宵山の打重なりて見ゆるかな  虚子(昭和3年)

駒形提灯
宵山の提灯

昭和3年7月23日、京都に入った虚子は ”後の祭り” と呼ばれる7月21~24日の祇園会の宵山(23日)を見物しています。宵山、宵々山(22日)、宵々々山(21日)には山鉾に駒形提灯が取り付けられ、京の夕べの風情を高めています。中句 ”打重なりて” はこの駒形提灯が重なって見えたというもので、三条通で見たものだろうと推測されています。

ここまで、このブログでは、祇園祭の代わりに ”祇園会” という表現にしていますが、その訳は虚子自身が祇園会という言葉を使っているからです。明治の初め、政府は仏教色をなくすため、それまで祇園会あるいは祇園御霊会と呼ばれていたのを、”祇園祭” と改めたのですが、そもそも祇園が仏教用語ですので、明治政府はナンセンスなことをやったものです。そのことを虚子がどう思っていたかは不明ですが、彼は ”祇園会” という表現しかしていません。

一般には ”祇園会” の行事の花形は、17日と24日の昼間の山鉾巡行と、その前の夜の宵山ですが、八坂神社の正式の祭りは、17日夜に八坂神社の舞殿に安置されている三基の神輿が、四条通の南側新京極入口の向かい側にある ”御旅所” に運ばれ、24日の夕方に八坂神社に戻る という神輿の神事です。

八坂神社御旅所

虚子は7月24日の夜、この神輿の八坂神社に戻る還御を見物していて、次のような文章を残しています。

三体の金色燦爛たる神輿は、多くの人々に舁がれて三条通を下の方から上の方に練って来るのであった。昨夜四条通でちらと見た御旅所に収まっていた三体の神輿は、今夜かく三条通を寺町に、それから四条通を通って、そのまゝ祇園の社の納まるのであるそうな。神輿舁きのうちにはかなり酔ってゐるやうな人も居つた。しかし田舎などで見る神輿舁きの乱暴なのとは違って、どことなく静粛に三体の神輿は過ぎ去った。

鉾建ての結ぶ縄目の固かりき  游々子

京都の街では、7月17日の山鉾巡行を前にして、”鉾建て” が始まっています。下の写真は7月10日現在のものです。

鉾建て
日経新聞より

鉾建つや都大路を見下ろせり  游々子