京大俳句会(7)-第170回(令和5年4月)-

今回の兼題は「春月、春の月」です。

春の月

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1  あの日の恋人の瞳桜咲く              竹明庵

2  幾星霜我が家の亀は啼かざりき           楽蜂


30年ほど前に京都市内で庭付きの古屋を購入した。その庭にクサガメが一匹すみ着いていた。おそらく、隣の真如堂の池から迷い込んで来たものであろ。普段、何を食べて暮らしているのか不思議だったが、人なっこい奴で、ときどきベランダに来て餌をねだったりした。この亀と数年付き合っていたが、突然姿が見えなくなった。ある年の冬に水道管が破裂し、工事の瓦礫と一緒に冬眠中の亀はトラックで運ばれてしまったようである。カメは生物学的に鳴く(音をだす)という話を聞いていたので、この亀と同居中、辛抱強く観察していたが、ついにその鳴き声を聞くことはなかった。

「いつの間に攻撃能力亀の鳴く」は本会168回での堀本吟さんの作である。そして、4月30日の朝日新聞俳壇にも「亀鳴く」の句が2題掲載されていた。「大谷の雄叫び亀もつひに鳴く 吉武純」「亀鳴くや時の永さに耐へきれず 三玉一郎」 亀は、ちょっとやそっとでは、鳴かない生き物として扱われているようだが。それでも、世界の騒乱に苛立ったり、大谷の快挙に感激したり、長い時間に耐えきれなかったりして亀は鳴いたようである。(楽蜂 自句自解)

亀が鳴くはずがない、でもウチのカメだったらいつかは。という待ちかねの気持ちがいつしか湧いていた。やはりおもいは届かなかったが、夢は夢のママでいいのです。虚実は皮膜のように境目が薄い。待った甲斐があり、虚のカメはついに鳴いたのです。鳴いて実(こんなシャレた一句)になったのでしょう。(吟)

3  洋墨(インク)褪せ役者の自伝の署名かな       まめ

古風で文学心のある役者なのであろう。自伝を出した。関わりある人やご贔屓さんに謹呈している姿。もちろん律義に署名入りで。洋墨と漢字で表しているところも肩を崩さぬ役者魂、その心映えを巧みに示唆している。心憎い措辞である。。日本の芸能と芸術とが出あうのはこういう場所なのだろう。(吟)

4  大沢池ゆらりきらりと春の月            蘭麿

「春月」の風情がいろいろな作者からいろいろの角度から見られる。題詠のだいご味だろう。これは、月の名所大沢池、やや波立っている。であるからこそ「ゆらり」とか「きらり」と形容されるオノマトペにもそこに立った人の臨場感が、特別のリアリティを持ち、美しさとして感じられるだろう。水面に移る揺れる月の姿をみのがさず繊細に捉えた。(吟)

5  かぐや姫現れさうな春の月             つよし

「⑪花守のやうな顔して虻来る」も良かったけど、つよしさん、おもいのほか夢見がちな一面をお持ちの所が好もしいです。
 竹取物語で輝夜姫が月にかえるのは、八月十五日(中秋の名月)の夜ですが、「春の月」に輝夜姫を登場させるといっそうはなやかにドラマチックになります。(吟)

6  肩すぼめ夕餉の音や春の月             まめ

7  抱きしめてうるうるゆるゆる春の月         武史

これは、春月が引き出す感覚美の一つであるエロス性にぐっと踏み込んでいる。何を抱きしめてどういう状況がおきているのかわからない。誰が「うるうる」なのか。何が「ゆるゆる」なのか。即物的でないから、景も作りにくい。だが、そこが作者の狙い。
 4番の大沢池の春の月へのオノマトペととこの句のそれのあたえる情感が全く違うところが興味深い。「ゆらり」も「きらり」も「月」にかかる副詞で「春の月」の個性をとくべつに際立たせる効果をしておる。
 この7番では、副詞は「抱きしめて」という身体感覚を強調している。「春の月」は一句全体の官能のメタファになっている。
 面白いことに、この両者とも、「春の月」本意を活かしながらもかなりはみ出して使っていることである。(吟)

8  デモ果てて触るるばかりに春の月          游々子

筆者の学生時代に、京都ではデモは市役所前広場を出発し円山公園の集会場に向かった。少し過激なグループは路いっぱいに広がるフランスデモやジグザクデモを行なったが、大抵、圧倒的な機動隊に囲まれてボコボコにされた。長いアジ演説が続く集会が終わり、希望と虚しさの入り混じった気分で解散する頃には、東山に春の月がかかっていた。これも青春の一コマ。(楽蜂)

「外にも出よ触るるばかりに春の月・中村汀女」というのがある。昭和21年の作。母親が子供を戸外に誘い出して春月のあまりに近々した美しさを伝える、という句である。そしてそれは戦争からの解放感を秘めている、と一般には解説されている。これは、人口に膾炙している名作だから、下句がどうしても大きく印象付けられる。 
 そして、この句では、そう言う場合の「春の月」の感じを、デモの喧騒や殺伐とした緊張感からの解放感に移し替えて八坂神社石段下あたりの違う風景にしている。その時が過ぎて静かになった広場でふっと見上げた月が身近に大きく思われる。そこに感動している。もしかしたら機動隊の若者も同じようにこの月を見上げているのかも。
これは本歌取り―パロディだ。同じ春月も、おかれた時代が違うとそれなりにオリジナリティを感じさせるから言葉はふしぎだし、その拘束力は怖い。汀女が作った「触るるばかりに春の月」という「典型的表現」の美も見事である。しかしここまで「中8下5」がそっくりであると、盗作剽窃とみなされることが多い。か子にもイリ色事例があり、取り下げなさいと言われることがあるので、重々ご注意。
 しかし、今回の句は、作者が意識していたかどうかはわからないが、私の読むところ、剽窃ではないぎりぎりのところで、むしろぴたりと現代風俗に嵌っている。(吟)

9  ハイウェイがくねる山肌春の月            吟

これは、「春の月」の効果があまりにつよすぎて、「くねる」や「山肌」が引っ張られて宙に浮いてしまいました。武史さん流のエロチシズムの方がましです。(笑)(吟 自句自解)

10  春キャベツキャッシュカードがみあたらぬ       吟

こちらは、スーパーで困ったときがありその思い出。春キャベツの薄いはっぱとピカピカしたキャッシュカード、ぺらぺらした薄い感じがよく似ているので、K音のリズム感で、取り合わせを楽しみました。(吟 自句自解)

11  花守のやうな顔して虻来る              つよし

花にやってくる虫の中にアブやハチがいる。専門的にいうとアブは双翅目、ハチは膜翅目昆虫である。この連中は形や飛び方がよく似ているので区別がつけにくいが、顔をよく観察するとアブは「ハエ」の顔をしているので、誰でも見分けることができる。ハチはどちらかというと精悍な顔つきをしているのに、アブは魯鈍な感じで憎めない。「花守のような顔」というのもうなずける。(楽蜂)

12  嵌め殺しの窓の外に春の月            竹明庵

これも面白い春月の風情。開けられない窓の内側から眺めている。触れたくても触れることができない、漱石の『硝子戸の内』の思考を思わせるが、もう少し感覚的にその遠い存在にあこがれる気持ちを月に託している。(吟)

13  はんなりと花街を照らす春の月          楽蜂

14  東山舞子眺める春の月              のんき

15  船渡御や水あび勇む若い衆            蘭麿

16  森をゆく甲斐の引き馬風薫る           游々子

山梨県の小淵沢には乗馬クラブが何軒かあって、一度引馬に乗って森の中を進んだことがあります。初めての乗馬で、スタッフが綱を引いてくれていたにも関わらず、急斜面をターンして曲がるときは落馬するのではないかと思いました。チャットGPTはこの句を次のように英訳しています。
Riding on horseback
Through Nagano’s wooded paths
Sweet breeze on my face
下句”風薫る”の訳がうまいと思いました。(游々子 自句自解)

17  夜桜や若きおんなの息弾み            のんき

夜桜見物の若い娘、花に酔い人ごみに酔いいつか息弾むばかり。そうですね。イイ息してますよね、こういう時の娘さんは魅力的。すてきな彼とお花見ですもの。俳句なんて野暮なもの作っちゃいられない・・という粋な俳句です。。(吟)
 
18  ラの音に合わせないでいい自由がほしい       武史

おまけですが、武史さん、この句には、共鳴しきりです。
 俳句の自由とはにか、お話ししたいですね。(吟)

19  病み病みて春の月見る厚着かな       幸男

幸男さん、回復されておめでとうございます。いっそうご自愛ください。あたたかな「春の月」(春季)と病後の体力をいたわる「厚着」(冬季)の取り合わせ、柔らかさと厳しさのこの重なりが作者の感情と意志の重なりになっています。明美さんも頑張って下さい。(吟)
          まがうた
20  保津に聴くライン魔歌舟人悲し       幸男