京大俳句会(3)ー第166回(2022年12月)

今回の兼題は「年の夜、除夜」です。

除夜の鐘


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1  居間出でて闇やはらかきクリスマス        窓

イヴ(前夜祭)のさわぎがおわり、イエスキリストの生誕の日、クリスマス本来の趣旨である、静かな穏やかな雰囲気をうたい上げた。(吟)

2  今しがたきいた気がする除夜の鐘         恒雄

これ、少しわかりにくいが、鐘音をきいてもうわすれたのかな?アブナイアブナイ。(吟)

3  オーボエや肉柔らかき春の貝           武史

こちらの「柔らかき」は、貝の肉に繋がる感覚や感触。オーボエの音色を重ねることで、「肉、春、貝」という肉体的なエロチズムを喚起する定番の言葉を、かろうじて上品なところに収めている。(吟)

4  『カタロニア賛歌』閉じれば除夜の鐘       楽蜂

『カタロニア賛歌』はジョージ・オーウェルのスペイン内戦(1936)における反ファシズム陣営でのルポルタージュである。戦乱という極限の状況下で、人が人らしく生きるということは、どのようなことだったかを温かい文脈で描いている。若い頃読んで感激した覚えのある文庫本を、書棚の奥から引っ張り出して読み直していると、法然院で鳴らす除夜の鐘が聞こえ始めた。世界の混乱はあの頃からそのまま続いている。(楽蜂 自句自解)

スペイン内乱を描いたジョージ・オーウェルの小説に託して、殺伐としたこの一年を振り返る。あの頃は戦争にも正義があった。 と、しみじみこの一年の殺伐とした出来事を振り返る。(吟)

5  漢字”戦”税源もめる年の暮れ           嵐麿

防衛費の「戦」。財源を巡って与野党の「戦」。なにやってんだろね、とむなしいキモチで川柳っぽく吐露。(吟)

6  雲ひとつなき青空や石蕗の花           恒雄

つわぶきの花のシンプルな黄色が鮮やか。身がしまるとともに、ほっとする光景。(吟)

7  笹鳴を一句と聴かん芭蕉堂            つよし


8  ジャパンナウ角さん帰つて欲しいもの       嵐麿


9  硝煙消す水無き地球(ほし)に年の夜        幸夫


今年も終わる。地球上に戦火を消すきよらかな水はもうどこにもない・・だろうか?希望を捨てたくない。(吟)

10  除夜の鐘数へるうちに眠りけり         つよし

一年のお疲れがどっと出てきたのでしょう。来年も頑張りましょう、もう少し。(吟)

11  除夜の鐘聞きつつ爪を切る女          幸男

年越しの仕事がやっと終わり、しまい湯湯に入ったのだろうか。除夜の鐘をききながら爪を切るという女の潔癖さがいい。それを見る夫(?)の内面が同時に出ている。このヒトのドラマ的な持ち味だ。(吟)

12  除夜の鐘聞くたび増える皺の数         のんき

108本も皺が増えたのですか?皺が伸びたのではなく。気の毒だけど、くすりときました。(吟)

13  除夜の幕捲れば星が降っていた         のんき


14  白息のしのび笑ひの塾帰り           まめ


15  底冷の姉三六角下駄の音            幸夫

京の童歌「姉三六角蛸錦」をもじったリズム感のあるおもしろい作品だが、「下駄の音」があまりに陳腐すぎる。想像句ならいっそ「底冷の姉三六角蛸焼き屋」はいかが?(楽蜂)

「姉三六角」と歌い歩くと歌詞の語感の軽快さとカラコロと下駄の音。底冷えする京都の小路は道路も固く凍っている。歩くたびに澄んだ音を響かすのか。心が弾んでくる巧みな句の足運びである。(吟)

16  溜め置きし言葉を贈る聖夜かな         游々子

(評)1年の感謝や想いを溜め置いているのである。一言で言い表せないものの「ありがとう」の言葉に集約されるものであろう。聖夜を迎え、1年分の感謝の言葉を贈るお相手は、はたして誰なのであろうか。(上田日差子)

17  年越や死にゆく人の声近く           まめ

一年の終わりが一生の終わりであることも啓示のようなめぐりあわせ。
末期の声を聞き取ろうと口元の近くにいるのか、情趣もそこで言い収められている。(吟)

18  年の夜泣きに来る人きっと鳥          武史


19  年の夜やけふを限りの喫茶店          窓


20  ドラム缶高きほむらや年の夜          游々子

先月の兼題「焚火」の出し遅れか? ドラム缶で薪をもやして神社の参拝に来る人を温めている。「高きほむら」の措辞が印象的である。第59回句会作品に、おいけのかっぱさんの作品「枯れ蘆の穂に留めたる炎(ほむら)かな」がある。(楽蜂)

お寺の境内だろうか。年おさめに集まった人たちのために大きなドラム缶を用意して火を焚き暖をふるまう。そのにぎやかな光景を「ほむら」の姿で言い留める。(吟)

21  白梅の蕾はかたし春星忌            楽蜂

春星忌は蕪村の忌日で陰暦12月25日。蕪村は亡くなる寸前、弟子の呉春を枕元に呼び、辞世の句を耳元に呟いた。“しら梅の明くる夜ばかりとなりにけり—–“。陰暦12月25日は新暦1月下旬にあたり、白梅がぼちぼち庭先で咲きはじめる頃である。春星忌は習慣として新暦のこの日をあてる事が多いが、梅の蕾はまだまだ固い。(楽蜂 自句自解)

22  山はいま眠り支度に粧を解く          幸男

コメント(吟)

このコメントは、対面句会が再開されるまで、せっかくの投句が、寂しそうなので、自発的に一句ずつ鑑賞しているものです。だれに頼まれたものでもありません。いい句を出されるなあと、毎回楽しいです。皆さん自分でコメントされるのだったら、もっと活発に意見交換をされたらいいのに。あんがいみんな、おとなしいですね。 私は体調が悪くて、投句はパス。すみませんでした。こういう句を出すつもりでした。
 
 煩悩は百と八つといま一つ 吟 
 年の瀬を影は長耳急ぐなよ 吟

では、良いお年を。2022年12月31日