俳句的生活(218)-小山敬三画伯ー

草笛や小諸古城の紅浅間  游々子

小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ の詩で知られる信州小諸の懐古園、この園内の一角に、茅ケ崎でアトリエを構えていた小山敬三画伯の美術館があります。

小山敬三美術館

この美術館は、画伯の死後に茅ケ崎のアトリエを解体して、その木材を使用して作られたものだそうです。画伯の別荘は、南湖の「六道の辻」の南にありました。

小山敬三の別荘地地図

画伯の別荘での生活は、”茅ケ崎の煌めき” の中で、次のように描かれています。

茅ヶ崎への思い
小山敬三は海や松林が好きで、このまちについて次のように述べている。
「以前は、この辺一帯、藤沢鵠沼の海岸へかけて緑のジュウタンを敷きつめたといった松の林の別荘地帯であったのだ。ところが、終戦後たちまちのうちに林は切り払われ、雨後の筍の如く大小住宅が群生するに至ったので、わずかな我が家の松林が珍重される存在と、今ではなってしまったのだ。そして私たち自身も、朝夕清浄な気、静謐(せいひつ)な心を持ち常用樹林の幸を愛し楽しむものである。」芸術家の感性を刺激した茅ヶ崎の風景は海と松だったようだ。

茅ヶ崎での暮らし
門から玄関までの砂の道にはいつも熊手の掃き目がつけられていた。夫妻ともに散歩が好きでマリー・ルイーズは南湖周辺、御霊神社や浜見平をぐるっと回り、喫茶店で一休みすることが毎日の日課であった。散歩姿を見かけた人も多かったようである。
必要なものは東京から取り寄せていたが、魚好きの夫妻は地元の魚屋や養生館(肉屋)等の御用聞きを利用していた。

画伯の絵は、小諸市と茅ケ崎市の二つの市の文化会館の大ホールで、その緞帳に使われています。

小諸の緞帳は、”紅浅間” と題されている赤く染まった浅間山。

紅浅間

茅ヶ崎の緞帳は、”浜降祭” です。

浜降祭

山と海を描いた二つの雄渾な作品に、心が躍ります。