写真で見るプレバト俳句添削(51)-2023春光戦決勝(2)-

7位 キスマイ横尾 春光の起業ゲーミングチェア届く

ゲーミングチェア

ゲーミングチェアとはゲーム用の椅子で、背もたれが高く、長時間ゲームしても疲れにくい構造なので、最近は仕事で使用している人も増えている、というものです。

横尾さん: 起業はとばしまして、ゲーミングチェアを使っている会社が増えてきた。あっ、これはいいなと思って使わせてもらいました。

北山さん: ゲーミングチェア、長い文字を入れてきたっていうのは、横尾さん凄いなと思いました。

ゲーミングチェアって聞くと、一人しか居ないのかな?っていう、何人もいて起業するのかな、というイメージですけど。

梅沢さん: 「届く」、ここがまずい。「届く」とくると一人のところにしか来てないと思っちゃうんです。”購入” か何かにすれば。

夏井さん: 「春光の起業」というこの前半に、具体的なもの「ゲーミングチェア」という物を取り合わせるのは良いと思います。勿体ないのは将にここ「届く」だけなんです。これは千賀さんもおっちゃんも偉いなと、よく気付きましたね。なぜ「届く」だと違和感を感じるかというと、自分の所に一台だけ自分のためのものが届くと、そういう印象になってしまうんですね。おっちゃんも何やら言ってましたけど、何か言ってましたよね。

梅沢さん: 購入!

夏井さん: 購入! 惜しいですね(会場爆笑) ”購入” だと自分ひとりが購入したのと一緒でしょ。これは企業らしさを入れればいいだけなんです。

添削 春光の起業ゲーミングチェア導入

そしたら、かっこいいオフィスで皆が座っている、こういう会社に就職したい感じになるでしょ。大事な押さえになるところだったんですね。勿体なかった。

游々子: 会社を新しく起業したときは、オフィスの備品は ”導入” することは当たり前のことですから、それは省略して、別のことを叙述したほうが良いでしょう。「春起業ゲーミングチェア二人分」。夏井さんの添削句もこの私の句も三段切れになっているので、それを気にするのであれば、「春起業向かい合わせのゲーミングチェア」でもいいのかなと思います。


4位 フルポン村上 保護シール剝がす手応え啄木忌

石川啄木

明治の歌人石川啄木の命日は4月13日です。

村上さん: 石川啄木の生活苦とか、庶民の感じとかっていう雰囲気と、個人情報保護シールを剥がすときの何とも言えない感触が、ここ~相性が良いかと思って作ったんですが。

フジモン: あの写真から保護シールを持ってきて句を成立させているのがいいかなと、僕思いますけどね。

夏井さん: あの写真から保護シールに眼をつけるっていうのは、私も同感ですね。しかも難しい忌日の季語に挑戦していると、ここもチャレンジは決して失敗はしていないと思いますね。悩ましいところがあるのは、「手応え」っていうところなんですが、私たちはあの写真を見るので、手応えというのはあれを剥がすときの指先の感触だとみんな無条件に思ってしまうんですが、この文字面だけ読んだときに、今月の給料は絶対結構あるに違いないという、そういう ”手応え” だと読んでしまう人が、割合として何割かはいらっしゃると思うんです。そうなったら、この ”手応え” が金銭的にいろいろ苦労した石川啄木に対しての皮肉めいた読み方をされると、作者の思いと随分離れてしまいますよね。これね、ここ(手応え)諦めて、別んところに言葉を補強すると、村上さんが言いたい処に直ぐいくと思います。

添削 保護シール剥がす啄木忌の明細

明細と書くとあの保護シールか、保護シールを剥がすんならば、手の感触はちゃんと再生できます。もう一つは、”剥がす” ではなく、ここを ”剥がす” とは書かないで剥がす、「強し」と書いて、”こはし” という言葉があります。”堅い” っていう意味になります。

添削2 保護シール強し(こはし)啄木忌の明細

こういう風にやると、詩としての純度は上がってくるかなと思いますね。でもいい処に眼をつけたと思います。

游々子: 添削2がその前の添削よりも詩的に感じるのは、”剥がす” という直接的表現ではなく、”強し” という間接的表現で、シールを剥がしたときの感触を述べていることに依ります。同じことは、一つ前の横尾さんの句にも言えることで、”届く” ”購入” ”導入” のように物流を叙述するのではなく、”二人分” とか ”向かい合わせの” のように、オフィスの様子を述べる方が、叙述に色合いが出てくるものと思っています。


最下位 勝村政信 我が給与マックのバイトに負けた春

マック

勝村さんは走って10位の席へ移動しました。お時間は取らせませんので(勝村)

勝村さん: 高校を卒業して就職していたんですけど、初めてもらった給料が本当に少なくて、10万円ちょっとだったんですね。で仲間と飲んでるときに、友人はマックでバイトしていて、マックのバイトは凄い人気があって、衣装も綺麗で、それでも時給は400円ぐらい。「大変だね」って話してたんです。で「今日僕が払うから」って払って、家へ帰って給料を時給にしたらいくらぐらいかなと計算したら、300円ちょっとだったんですね。その時の気持ちをそのまま詠んだらこの結果でした。

夏井さん: これも実体験なんだろうなと読んだんですけど、まあこの考え方というのは類想感があるなというのが一つあります。テーマには合致しているんですけど、”詩” がないという一言になってしまうかも知れないですね。ご本人のお話を聞いて、”マック” は絶対要るんだなと思いました。勝村さんの時代もそうでしょうけど、私よりちょっと上の世代には、憧れのバイトの一つであったですよね。だから ”マック” は外せない、自分の給与も外せない、だったら季語が入る余地はこれぐらいしかないと。直したところであんまり変わりがないんですが、

添削 マックのバイトに追いつきたし春の我が給与

これだと、”春” に多少季語の匂いがつきますが、大した違いはないです。

勝村さん: 俳句じゃあなかったですね。また頑張ります。

游々子: この句がなぜ ”詩” でないのかということですが、それは詠んでいる内容が、給与の比較であるからです。人間だれしも気になるところですが、そもそも俳句というのは、こうした人間の性から離れたいと願う文芸であるからです。夏井さんには、なぜこの句が ”詩” になっていないのかを説明してほしかったです。初給料を詠むのであれば、「初給料仲間と集うボーリング」のような、少ない給料であっても前を向いた18歳の青年の姿を詠んでほしいものです。”初給料” は現在の歳時記には載っていませんが、4月の季語として、早晩掲載されるでしょう。