俳句的生活(210)ーどうする家康ー

今朝の読売新聞の湘南面には、「鎌倉殿冷めぬ熱気」という大きなタイトル記事が掲載されていました。北条義時の墓があったとされる鎌倉市西御門の法華堂跡には、今もなお多くの観光客が訪れているとのことでした。鎌倉市や観光団体はリピーターを増やそうと奔走しているそうです。

今週、「どうする家康」の初回が放映されました。非常に興味深かったのは、野村萬斎さんが演じた今川義元でした。

今川義元

今までの義元のイメージは、公卿風の軟弱な愚将というものでしたが、初回での萬斎さんの存在感は抜群で、おそらく萬斎さんの出番はこの一度だけではなく、家康の幼年期が描かれるシーンが放映され、そこでは家康を我が子同然に可愛がり、優秀な教育係をつけて、家康を英才教育したような人間味あふれた名君として描かれることと期待しています。

そんな家康ですから、家康は今川義元のもとで幼年期を過ごした駿府(現静岡市)を愛し、今川氏が戦国大名の地位を失ってからは、義元の子の氏真を徳川氏の高家旗本として処遇し、今川の末裔は明治まで続いています。

駿府城は現在発掘作業が続けられていて、そこからは今川氏が居城としていた頃の石垣や遺物が出土しています。

今川のかわらけ

この写真は、今川館跡から出土した金箔を施した ”かわらけ” (酒を飲む杯)です。家康が駿府を愛したことは、江戸よりも駿府に長く住んだことにも証されています。初回での有村架純さんが演じた瀬名(今川義元の姪)は、家康の正妻の築山殿となる人ですが、後に織田信長によって、今川の出身であるとの理由で家康から離されて自害をせまられ殺害されています。こうしたことからも、このドラマによって、信長と義元のイメージが逆転するのではないかと、思っています。

築山殿
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