俳句的生活(208)ー伊賀の方ー

年が改まり2023年となりましたが、昨年の「鎌倉殿」の余韻がまだ残っていて、興味深いものを今しばらく綴ってみたいと思います。このドラマで最も心にグサッと突き刺さったのは、菊池凛子さんが演じた「伊賀の方」という女性です。しかもこの女性、茅ヶ崎の地頭であった二階堂氏を母方としているので、掘り下げない訳にはいきません。

伊賀の方は義時の3番目の正室で、ドラマの中では「のえ」と呼ばれています。菊池さんの穏やかな表情と鬼のような形相の時との落差が大きく、それを演じ分ける技能には脱帽したものです。のえは義時を毒殺して娘婿を将軍に、我子を執権に就かせようと画策したのを政子に咎められ追放されたという筋書きですが、そもそも当時の武家社会では、夫の死後、その後継者を選ぶ権利は後家(未亡人)にあったので、政子は伊賀の方の持つ権利を奪い、権力が伊賀氏や二階堂氏に移ることを阻止するため、事件をでっちあげて追放したというのが実相だと思います。

伊賀の方

伊賀の方の母親は、鎌倉殿の13人の一人であった二階堂行政の娘です。ドラマでは野仲イサオさんが行政を演じています。

二階堂行政

伊賀の方が義時の継室となったのは、子の政村が生まれたのが1205年であることから、遅くても1204年の後半であろうと推測されています。頼家が修善寺で暗殺された時期です。それから9年後の和田合戦で、茅ヶ崎懐島の領主であった大庭氏が和田に組したことで亡び、二階堂行政の子の行村が論功行賞で懐島の地頭となりました。伊賀の方の叔父になります。更に尊卑分脈(室町時代初期に作られた日本の初期の系図集)によれば、行村は懐島の在郷の娘を妻として、その女性が生んだ子およびその子孫が懐島の領主の座を継いでいます。

二階堂氏が領有した懐島の地名は懐島殿原郷(とのばらのごう)となっています。殿とつく地名が、直ぐ東側に殿山という小高い丘としてありますので、二階堂氏のものと思われる五輪塔がある龍前寺の浜之郷から殿山あたりまでを領有していたのでしょう。

殿山

二階堂氏の所領は最盛期には、全国で20ヵ所以上に及んでいます。その二階堂氏は8代執権時宗没後の霜月騒動(御家人と北条得宗家家人の権力争い)で没落しています。行村から数えて3代あとのことです。伊賀の方の血筋がどうなったのかは、別の機会に追ってみることにします。