写真で見るプレバト俳句添削(38)―(8月18日#2)-

ミッツマングローブ (名人2段)

ミッツさんは炎帝戦は14位で、俳句の発表すらありませんでした。

上腕たくまし蜻蛉の休息す

枝にとまる蜻蛉

夏井さん: この句の評価のポイントは、下五「休憩す」の是非です。

浜田さん: 現状維持! 先生から「誰の腕で休憩しているの?」

夏井さん: これねえ、腕のクローズアップから蜻蛉へと、このカメラワークは良いのです。ただ蜻蛉の句でね、竿に休憩している、棒の先に休憩している、こういう擬人化の句は相当あるんです。そこがとっても勿体ないのです。じゃあどうするかですが、休憩という擬人化は諦めるしかないです。代わりに誰の上腕かを書くだけで、その人物が居そうな場所は想像できる。例えば、”たくましい” というのを言いたい気持ちは分かるんですが、ここに運転手、ドライバーのと書いたら、(ミッツ: それはたくましいですよね) そしてこうなると、蜻蛉が上腕という画数の多い漢字と連なって来るので、ここは敢えてひらがなで書いた方が良い。

”ドライバーの上腕とんぼ○○○○○”

○○○○○にとんぼの描写を丁寧にやる訳です。

添削 ドライバーの上腕とんぼ来てとまる

游々子: 原句の破調が修正されたのは良いです。夏井さんは破調については触れませんでしたが。原句のような ”文章” では詩的リズムがなく、それがどうした、となってしまいます。


三遊亭志らく (名人6段)

志らくさんは春光戦で初優勝したものの、炎帝戦では予選落ちとなってしまいました。

蜩の駅にひぐらし辿り着く

ひぐらし

志らくさん: 私は夏井先生から「冒険しすぎ、冒険するな」と言われているんです。マネージャー越しに。サービスエリアから駅の方に発想を飛ばした。蜩が沢山いる無人駅に、余命を感じた蜩が飛んできた情景。ここをひらがなにしたのは、余命を悟った老人が、大好きな駅に来た、そこまで読み取って貰わなくてもよいが、自分にはそういうのがあるんですね。

村上さん: 冒険してますよね、これ。志らく志らくしている。

夏井さん: この句の評価のポイントは、下五「辿り着く」の是非です。

浜田さん: 現状維持、先生から「そりゃ、蜩も来るだろうけど」

夏井さん: この字面読んだ時に、蜩の駅だから、そりゃ蜩だって来ると思っちゃった訳ですよ。だからそういう句なら「蜩の駅ひっそりとひぐらし来」ぐらいで、簡単に構えておりました。ところが今、話を聞いてみると、作者が表現してみたかったのは、とてつもなく複雑で、とてつもなく冒険していて、廊下でマネージャーさんに伝えた事は、全然伝わってない! もう吃驚しました。

浜田さん: もう冒険すな!

夏井さん: 今お聞きした内容を表現したいと思う志らくさんの気持ちを、私は好きです。そういうことを表現したいと、それをどうしたらいいんでしょうね。

添削 追憶のひぐらし蜩の駅に

こうすると少しはあなたの言いたい処に近寄った、もう本当大変!

志らくさん: 村上さんの言ったとおり、”志らく志らく”してるんですよ。

游々子: 志らくさんの言いたいことは、俳句では不可能で、和歌で表現すべきです。「蜩の晩夏に来たる無人駅 余命悟りし老人も来る」


フルーツポンチ村上(永世名人)

村上さんは前回初めてシュレッダーを免れました。

炎天やドットの粗き標識車

標識プレバト俳句

村上さん: 標識車というのは、車の後ろに ”事故” とか ”工事中” と書いている車なんですが、近くで見るとその掲示板のドットが粗い、それを感じるのは、渋滞だからドットに注目できたのかなあ、とか、暑くてイラついて粗く感じたのかなあ、と、俳句を読んだ人が思えるスイッチになればと思って作りました。

浜田さん: 何ですかそれ? 志らくさん~

志らくさん: 今の解説、聞かない方が良かったかな~と。私の様に深いものを出そうとせず、見たままの情景をぽんと出している。こういうのが俳句なのかなと思った。

浜田さん: 掲載決定! 先生から「やっと季語を信じてくれた」

夏井さん:あの兼題写真から、色んな種類の車を発想するのは良いと思いました。あの表示は、近づくほど文字が読み取りにくい、”粗い” ということを気付いただけなんですが、その気付きこそが、俳句の種であるということなんです。暑苦しい色合いですね、オレンジとか赤、それが工事とか事故の渋滞でイライラするマイナスの気持ち、そういうものを、こっち(中七下五)で描いておいて、何を目的としているかというと、”炎天” この季語を引き立てるためにやっているんです。ですからこれが季語を主役にする、季語を信じるということで。今まで村上さんは、季語が嫌いと言っていましたから、やっと季語を好きになったと信じたいです。

アシスタント: 村上さんは残り26句となりました。

游々子: 志らくさんのと対照的な句です。これが俳句の極意という解説、ためになります。が何となく狭い感じも致します。