俳句的生活(202)ー鎌倉殿(永福寺跡地)ー

古都めざす秋の自転車蒼き海  游々子

昨日と今日は、高気圧が日本列島を覆い、この秋屈指の好天気となりました。そこで、今日は自転車で長駆、鎌倉の永福寺跡まで行ってみることにしました。

柳島からサイクリング道路で東を目指すのですが、今日は南湖の漁港がある辺りに、大量の椅子が並べられていました。

茅ヶ崎南湖漁港俳句

何だろうと思って、関係者に尋ねたところ、明日(10月22日)夜、サザンオールスターや桑田佳祐とコラボする花火の大会があるのだそうです。彼らは会場には来ないので、どんなコラボか判らないのですが、大きなマイクが各所に設置されていました。数万人の人が来るそうで、チケットを持っていないと、134号線を超えて、海側に明日は行けないそうです。

鵠沼海岸では、大学生らしき若者が二人、テニスのボレーと卓球を合わせたようなラリーをしていたので、何かと聞いたところ、フレスコボールだとか。面白いので写真を撮らせてもらいました。

フレスコ俳句

永福寺(ようふくじ)は頼朝が、義経その他の霊を弔うために、平泉の浄土庭園を模して1192年に建立し、1405年に火災にあうまでの200余年間、鎌倉のシンボルでありました。寺の礎石とみられる石や、浄土を模した池が発掘されて、一般公開されています。

永福寺池俳句
永福寺礎石俳句

更に近年は、CGによる建物の復元作業が行われています。

永福寺CG復元図俳句

仏堂は二階建てになっていて、そのために二階堂とよばれ、地名にもなっています。二階堂氏は大庭氏のあと、茅ヶ崎を支配した御家人で、この氏族も、安達氏の霜月騒動の際に、北条氏によって滅ぼされてしまいました。果たして「鎌倉殿の13人」で描かれるでしょうか。


話はそれますが、今日10月21日は、かっては国際反戦デーとして、”インターナショナル” の歌を歌いながらのデモが行われていました。60年前の10月16日から29日までの13日間は、人類が全面核戦争の恐怖に震え上がっていたときで、アメリカがキューバを海上封鎖した時、キューバでは、”インターナショナル” を歌いながらのキューバ人の行進がありました。アメリカで、キューバへの先制攻撃を強硬に主張したのが、太平洋戦争で日本を無差別爆撃したルメイという空軍の総司令官、それをなんとか抑え込んだのが、かって部下であったマクナマラ国防長官でした。戦争は一人の暴虐な人間によって、不必要な悲劇をもたらすし、また冷静な人間の判断によって悲劇が回避される場合もあります。ウクライナの状況はどうなっていくのでしょうか。バイデンとプーチンは、ケネディとフルシチョフのように、最後の最後で踏みとどまることができるでしょうか。ケネディはキューバ危機の翌年、凶弾に倒れ、フルシチョフは更に翌年、クーデターで失脚しています。