添削(36)ー厚木若鮎会(3) 令和4年10月ー
今月の兼題は、彼岸花、螳螂、月見です。
原句 地蔵ある彼岸花さく峠道
上五と中七が共に下五を修飾する造りになっていて、峠道が主役になっています。「ある」と「さく」の二つの動詞ですが、彼岸花は咲くものですし、地蔵も在るものですから、省略することを考えましょう。
参考例 お地蔵の微笑む山路曼殊沙華
原句 庭に立ち月見てる孫かぐや姫
この句も「立ち」と「見てる」が孫の動詞となっていて、句が説明的になっています。「庭」「立ち」「見てる」を省略し、「孫」「月」「かぐや姫」を入れた句を考えてみましょう。
参考例 望月や孫は姫様吾は翁
原句 かまきりをしゃがんで見れば風涼し
「かまきり」は秋、「風涼し」は夏(晩夏)の季語です。また、「見れば」は作者の所作で、俳句は作者が見て聞いて考えたことを書くものですから、作者の所作を句に含めてはいけません。
参考例 大螳螂納屋の主となりにけり
休耕の田に点々と彼岸花
「点々と」が季語の彼岸花を修飾していますが、俳句では季語は修飾しないことが定石ですので、季語以外の12文字では、季語を離れたことを述べるようにしましょう。
参考例 石垣は堅城のごと曼殊沙華
原句 昨今は団子の勝る月見かな
昨今は確かにその風潮となっていますが、俳句はその事実を述べただけのものになっています。映像を伴ったものにしましょう。
参考例 縁側で頬張る吾子の月見かな
原句 不器用に見せて螳螂巧者なり
五七五の文章句となっています。螳螂が巧者であるところの一瞬を切り取ってみましょう。少々大袈裟ですが、
参考例 螳螂の斧や風打つ槍のごと
野仏に一生(ひとよ)の友か曼殊沙華
「ひとよ」は「一生」ではなく「一世」です。原句では、上五が「野仏に」となっているので、曼殊沙華の一世が野仏に対しての友との解釈になりますが、関係を逆にして、野仏が曼殊沙華にとっての一世の友となるようにするのがよいでしょう。着想の素晴らしい佳句です。
参考例 野仏は一世の友か曼殊沙華
原句 背の子のいつしか寝入る月見かな
佳句です。直すところはありません。中七に愛情が込められています。
原句 螳螂やぬけがら残し色づきぬ
佳句です。直すところはありません。螳螂は2回脱皮すると言われており、最初は茶色、次に緑色に変るそうです。私自身、子供の頃にその脱皮を見たことがあるのかどうか、記憶の外になってしまいました。
螳螂の抜殻 (dailyportalzより)