俳句的生活(192)ー俳句と囲碁(2)正岡子規ー

正岡子規が囲碁好きであったことは、それほど世間には知られていません。碁の主な相手は、新聞「日本」の社長であった陸羯南(くがかつなん)と、俳句の弟子の内藤鳴雪です。棋力については、恐ろしく弱かったらしいです。いわゆる、豆まき碁というものだったのでしょう。そんな子規ですが、日本棋院から顕彰されていて、2017年に囲碁殿堂入りしています。第14回目の表彰で、あの呉清源ですら、第12回での表彰ですから、随分と早い殿堂入りと言えます。この年は、子規の生誕150年ということで、注目度が高かった年だったのでしょう。

囲碁好きであった子規は、碁の句についても、30句以上残しています。以下に、春夏秋冬で一句づつを紹介することに致します。

春の句 碁に負けて忍ぶ戀路や春の雨

明治32年の句で、子規は既に結核性脊椎カリエスが悪化していて、寝たきりの状態になっていました。従って、”忍ぶ恋路” というのは空想で、子規が強調した写生句ではありません。”碁に勝って” ではなく、負けてというところが、季語「春の雨」と合って、子規の代表句の一つとなっています。

夏の句 下手の碁の四隅かためる日永かな

碁の格言に、”四隅取られて碁を打つな” というのがあります。隅は囲い易いので、そこを全部取られると負けとしたものですが、これは昔の格言で、今では四隅を取ったりすると、中央を大きな地にされてしまい、負けるということに変ってきました。陸羯南は、普通の棋力の人に星目置いて、100目以上負ける人で、子規も同程度だったと思えます。下手さの度合いが、中七の ”かためる” に現れています。

秋の碁 月さすや碁をうつ人のうしろ迄

この句の碁を打っている部屋は狭くなければならず、芭蕉の、「秋近き心の寄るや四畳半」を連想します。この句の肝は、上五の、”月さすや” にあり、これが ”名月や” などになると、それこそ月並みになってしまいます。明治31年の句で、病気がまだ軽かったときのものです。

冬の句 古家や狸石打つ落葉の夜

この句が作られたのは、子規35歳、最晩年のものです。この句のリズムは、芭蕉の、「古池や蛙飛びこむ水の音」を継承しています。病は厳しくなり、客観写生からはほど遠い句を造る気持ちになってきたものと思われます。

春や昔十五万石の城下かな   子規
春や昔十文銭の渡しかな    游々子

碁殿堂資料館 | 棋院概要 | 囲碁の日本棋院 (nihonkiin.or.jp)より