俳句的生活(174)-清明ー

昨日は春分の日で、春のお彼岸の中日。お墓参りに、というところですが、我家の墓は広島にあって、自分自身での墓参が難しく、春秋の彼岸と夏のお盆には、お寺にお願いしてお経をあげて貰っています。せめて広島の香りをと、茅ヶ崎駅南口にある広島焼き専門店へ行ってみたところが、コロナの影響か、従来は水曜日が定休日であったのに、それに月火が休みとして加わっていて、広島のお好み焼きを味わうことが出来ませんでした。店の名前は『杏庵』といいます。そこで、杏が詠まれた漢詩を紹介しようとするのが今日の本稿です。

晩唐の詩人である杜牧の詩に、”清明” というのがあります。清明とは、「清浄明潔」の略、桃や杏の花が咲き、万物に清朗の気が満ちてくる季節 ということで、春分の次の二十四節気です。今年は4月5日がそれに当たっています。杜牧の詩は、

清明の時節 雨紛紛
路上の行人 魂を断たんと欲す
借問す 酒家は何れの処にか在る
牧童 遥かに指す 杏花の村

という七言絶句です。春雨の中にけむる花霞、それを得意げに指さす少年。桃源郷の入口の峠からの光景です。中央道を車で走ると、一之宮御坂の南側に広がる桃畑が見えてきます。河口湖から御坂道の峠を越すルートを選べば、そこは漱石の『草枕』の世界です。峠に一本の大きな花木があるとすれば、それは桜ではなく杏でありたい、とするのが日本人の不思議な感性です。山梨や長野のSAや道の駅では、杏花村という銘柄の焼酎が置かれています。一度、清明の時節に味わってみたいものです。

香を纏ふ裂けたる墓石春彼岸

杜牧の像
杜牧の生涯と代表的な漢詩 (chugokugo-script.net)より