俳句的生活(155)-萩園の橋ー

萩園を流れる川といえば小出川ですが、現在は2本の橋が架けられています。北側から萩園橋と浜園橋ですが、明治の末までは、萩園橋の一つだけでした。

萩園橋は、既に江戸時代から架けられていたもので、当時の橋石が、今、三島神社に収められています(添付1,2)。この時代の萩園の中心が、割と北部にあったことを覗わせます。

浜園橋が出来たのは明治42年に、鶴嶺に尋常高等小学校が出来て、松尾神社にある臺小学校がそちらに統合された時です。現在の鶴嶺通りというのは未だ無く、萩園の子供たちが、鶴嶺尋常高等小学校に通うには、北にある萩園橋を渡るしか手段がなかったのです。そこで村人たちは土地を提供し合って、学校道と呼ばれた通学路(鶴嶺公民館の北側の道)を造り、小出川には、舟の底板を継ぎ足して、現在の浜園橋のところに、橋らしきものを作り上げたのです。浜園橋の名称は、浜之郷の浜と萩園の園を合わせたものです。橋はそんな危なっかしいものでしたが、事故は一度も起こらなかったと言われています。

架け橋や草摘む野辺の帰り途

萩園橋の橋石の説明板
添付1
橋石
添付2