俳句的生活(151)-浜道と八大龍王神ー

相模湾の海底は、相模川から東、葉山の長者ヶ崎まで遠浅になっていて、いわゆる湘南海岸の砂浜を造り出しています。とりわけ茅ヶ崎海岸は、ダムや堰の造られていなかった時期に、相模川からの土砂が、強い西風により浜に吹き上げられて、鉄砲道はおろか、東海道までが砂丘地帯となっていました。

そうしたことにより、茅ヶ崎南部の地域は、水田に向かないだけでなく、住居にも適さず、漁労に従事した人たちの住まいも、浜から離れたところに作られていきました。茅ヶ崎を代表する網元の沖右衛門丸さんの居宅や、寒川神社の神輿を網にかけた鈴木孫七家の邸宅も、鉄砲道の北側にあります。小和田の漁民たちの住まいは、東海道あたりに作られていました。浜道というのは、そうした住居から浜までを繋いだ道のことです。

茅ヶ崎の主だった漁場は、小和田、南湖、柳島の浜で、そうした漁場への浜道は何本も作られています。そして浜道の先には、八大龍王神というのが祀られています。全部で7カ所あるのですが、そのうちの中海岸にあるものを添付します(添付1,2)。場所的には、茅ヶ崎館の真南で、サイクリングロードと134号線の間に置かれています。

八大龍王神というのは、茅ヶ崎版浦島太郎伝説です。竜宮城は平島と姥島の中間の海底にあったとかで、もらった玉手箱は、開けることなく浜に埋め、その上に八大龍王神を祀り、物語はハッピーエンドで終わっています。茅ヶ崎観光協会がアニメを創っていますので添付します(添付3)。

八大龍王神には神輿保存会があり、浜降祭にも参加しています。文化活動促進を中心に活動されている長谷川由美さん(市議会議員)の、保存会の元旦祭での写真がありますので添付します(添付4)。長谷川さんは保存会の会員としても活躍されています。

茅ヶ崎が、つい100年前までは漁村であったことが、今や忘れ去られようとしています。子供会での地引網の行事などでは、是非とも、八大龍王神の話を語り伝えていってほしいものです。

浜道の暮るる軒端や黄水仙

添付1
添付2
添付3 八大龍王神のアニメ
添付4 八大龍王神神輿保存会の元旦祭